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プレーパーク(2) 子どもが遊ぶ現場に立つ大人の役割~初代プレーリーダーとして

要旨:

冒険遊び場に常駐する大人、それを『プレーリーダー』と呼ぶ。直訳すると、「遊びの指導者」。「えっ?遊びに指導者なんか必要なの?」。この疑問を抱いた人は、健全(?)です。遊びに大人の指導者は不要です。もっと言えば、子どもの遊びに大人が指導者として君臨することはあってはなりません。その理由は、はっきりしています。遊びたい!という思いはその子が主役であって、大人が指導者として立ってしまうと、その主役が指導者に移ってしまうからです。日本で初めてプレーリーダーを仕事にした私が思うプレーリーダーとは。言いたいことの一割も書けていませんが、そのさわりだけでも触れてください。



≪プレーリーダーの発見≫

冒険遊び場』発祥の地は、北欧のデンマークだ。1943年、第2次世界大戦の只中にそれは生まれた。建築家であるソーレンセン教授が子どもの遊ぶ様子を観察していて、ひとつの発見をした。「子どもというのは大人がきちんと計画した遊び場よりも、大人が危ないから行ってはいけないと注意する工事現場や廃材置き場のようなところのほうがはるかに生き生きと遊ぶ」。

だったら始めからそういう遊び場を創ったらいいと、首都コペンハーゲンの郊外に廃材を転がしただけの遊び場『エンドラップ廃材遊び場』を開設した。子どもはその廃材を使って基地を建て、砦を築き、動物を飼う小屋も作った。もちろん、そのための動工具は遊び場に常備されていた。刃物を日常的に使う遊び場だということで、怪我に対する安全対策のために、そこに大人を一人配置した。日本で言うところの「管理人」である。

管理人の名は、ジョン・ベルテルセン。彼は、ただの管理人のように口やかましく子どもを追い立て注意したり、そこらの教育者のように子どもの前に立って講釈や指示をしたりするわけでもなく、子どもがやりたいと始めることを、大人の智恵と経験で少し味付けして手伝った。このことで智恵と技術を身に付けた子どもは、さらに遊びを広げていき、およそ子どもだけでは実現できないような遊び場が創られていくことになった。

これは、ソーレンセン教授にとっては、思いもよらない発見となった。遊び場にこうした大人がいることで、子どもの遊びはこれほどまでに発展を遂げる。後に「プレーリーダーの発見」と言われたが、以来、冒険遊び場プレーリーダーは欠くことのできない存在として位置付き、欧州ではいまやれっきとした職業となっている。

≪遊びに大人は邪魔だった≫

前回にも触れたが、私はその「プレーリーダー」を日本で初めて職業にした人間だ。1981年のことである。しかし当時の私は、この「プレーリーダー」という立場がどんなものなのかつかめずに、悩む日も大いにあった。そんな中で、1970年代の英国の冒険遊び場を記録した『都市の遊び場』(鹿島出版/アレン・オブ・ハートウッド卿著/大村虔一、彰子訳)では、プレーリーダーをこう紹介していた。「もし子どもに関する専門教育を受けた者がプレーリーダーを目指すのなら、子どもに関する専門知識を一度すべて捨て去る必要がある。優れたプレーリーダーは、元大工とか船乗りだった人に多い」。これは、イメージとしてよく理解できるものだったことを覚えている。

私がなぜプレーリーダーに悩んだか、それは私自身の子どもの頃の記憶に由来する。

私は、1958年に東京都葛飾区に生まれ、育った。「フーテンの寅さん」や「こち亀(こちら亀有駅前派出所)」で名が知られているが、もちろん葛飾の住民がみんなあんなに自由で下品(?)なわけではない。けれど下町であることは間違いなく、私も路地裏集団(ガキ大将集団)で遊び、育った。

その当時は、子どもは大人のいるところでは遊ばなかった。いや、正確に言えば、大人が怒らない遊びしか大人の前ではしなかった。子どもだけならばそれこそ危険な遊びや残酷な遊び、エッチな遊びや犯罪的な遊びもあったが、そんなことを大人の前でやったらこっぴどく怒られるに決まっている。それが分かっていたから、大人の前では遊びを選んでいたといえる。そして言うまでもなく、腹のそこからわくわくするような体験は、子ども同士の遊びの中でだけ感じることができた。

≪自分の立ち位置≫

つまり私の原体験は、大人が遊びに関わるとうるさい、というものだった。その私が、遊び場に常駐しているのだ。矛盾していないわけがない。けれど、私自身は子どもの遊びの世界に大いなる興味を持って、だから今ここにいる。矛盾を抱えつつ、どうやったら「大人がいるからより楽しくなる」遊び場にできるのか、日々そればかりを考えていた記憶がある。しかし、最初はそれも裏目に出ることが多かった。

羽根木公園という公園の一角を使って、日本で初めての常設の冒険遊び場『羽根木プレーパーク』は活動を開始した。大きな公園なので、公園内が通学路にもなっていた。なので、学校帰りの小学生たちがたくさんプレーパークの脇を通って帰っていた。一人でも多くの子どもと仲良くなろうと、私は毎日その子たちに「お帰り!」と声をかけた。チラッとこちらを見て、すっと避けるように帰って行く子どもたち。返事をくれる子は半分もいなかったように思う。すると1週間もたたないうちに「最近羽根木公園に、髪の長い不審な若者が出没しています。皆さんで注意しましょう」とPTAの連絡網で流れてしまい、あわてて「おかえり」声掛け運動を中止したことなどはそのいい例だった。

子どもにも避けられたことだし、世田谷という慣れない土地での初めての暮らしにポスト(郵便受け)や本棚など何もなかったので、少しでも生活環境をましにしようとそれを作ることにした。すると、あれほど声をかけても近寄ってこなかった子どもたちが、向こうから寄ってき始めた。「何作ってるの?」「うん?ポストだよ」。そんな会話の後、「僕も作りたい」、「私も!」。それからたくさんの子どもが立ち寄り、プレーパークはさながら一大木工房となっていった。私は、初めて、大人がいることで火をつけた子どもの遊び心を体験することになった。

初めての頃、もうひとつ思い出深い出来事があった。子どもは穴掘りが好きなはずなのに、プレーパークでは誰一人として穴を掘る子どもがいなかった。地面は土である上、スコップもつるはしも置いてあるのにだ。ならば、と、ある日穴を掘り始めていたところ、学校帰りの小学校1年生が側によって来て私の様子をじっと見つめ「何してるんですか?」と聞いた。「穴掘ってるんだよ」。「穴掘って、何するんですか」。「うーん、掘りたいから掘ってるんだけど」。そう言った私にその子はしばらく考え、こう返してきた。「公園に穴掘っちゃいけないって、知ってますか?」。下町で生まれ育った私としては、小学1年生のこの言葉に仰天するしかなかった。「世田谷の子どもはなんとお行儀がいいんだ!」。しかし、同時にこうも思った。「子どもは良いか悪いかではなく、面白いかつまらないかで動くのに、これは何か変だ。子どものこの殻を破らないと、つまらない子どもばかりになってしまう」。小1のその子の言葉で火が付いた私は、なおさら目立つように穴を掘った。そして、この穴がひとつあっただけで、以来多くの子どもが穴掘りに興じるようになっていった。おかげで今、プレーパークの敷地はいたるところに掘り返した跡があり、満遍なくでこぼこしている。

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≪大人がいるからできること≫

現代は、少子化といわれる。それは大人から見た言い方で、子どもから見たら「多大化(大人が多い)」だ。それは、何を引き起こしているのか。

かつて子どもと大人の比率がもっと子どもに傾いていた時代は、どんなに大人が子どもを管理しようと頑張っても子どもは大人の目をエスケープすることができた。そこに子ども社会が存在し、大人社会の目を逃れた遊びが展開されていた。創意も智恵も、こうした中で子どもは育んでいったと言っても過言ではない。

しかし、子ども一人当たりに過剰に多い大人たちが存在する現代、子どもをきちんと管理しようと目を光らせれば、子どもは簡単に負けてしまう。「穴掘りは楽しいから大人がだめって言ったってやっちゃえ」という子どもは死に絶え、「穴掘りはいけないことだからやらない」という抑制の効いた子どもがきちんとしつけられた「いい子」として生産される。しかし、その時子どもは、「やってみたい!」という、ほとばしるような興味、好奇心、意欲、そこから始まる創造や試行錯誤を同時に失ってしまう。さらにこれは、その子の「自分が生きている実感」の喪失をも招いていく。

プレーリーダーは、子どもの「やってみたい!」から世界を開いていく存在だ。遊び場である公園に穴を掘れなければ、なぜ掘れないのかを大人社会に問う側にいる。どうしたら掘れるようにできるのか、それを考え実践する大人なのである。子どもを管理ばかりしようとする大人が多い中、遊び場にいる大人にできる、これが最大の役割のように考えている。
筆者プロフィール
report_amano_hideaki.jpg 東京都葛飾区生まれ。20歳のころ、自閉症児との出会いをきっかけに「遊びの世界」の奥深さを実感する。1979年に開設された、日本初の民官協働による冒険遊び場『羽根木プレーパーク』で初めての有給プレーリーダーを務め、その後、地域住民と共に世田谷・駒沢・烏山の3プレーパークの開設に携わる。子どもが遊ぶことの価値を社会的に高め、普及し、実践するための2つのNPO法人『日本冒険遊び場づくり協会』『プレーパークせたがや』立ち上げの一員。両法人の理事を務めている。09年4月からは、大正大学特命教授として、遊びに関わる大人、ことにプレーリーダーの育成を目的として教鞭をとっている。
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