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第4回-④「『困っているときにどうする?』多様性を抱えた文化差」

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研究室

【読者参加型共同研究「日本、中国と韓国、何がどう違う?」】
第4回-④「『困っているときにどうする?』多様性を抱えた文化差」

山本 登志哉(日本:心理学)
姜 英敏 (中国:教育学)
呉 宣児(韓国:心理学)

2017年3月31日掲載

【山本】
本題に入る前にちょっとご紹介です。前にも少しご紹介したように、昨年10月に東大出版会から「子どもとお金:お小遣いの文化発達心理学」という本を大阪教育大の高橋登さんとの共編著で出しました。日中韓越の研究者がお互いの国を行き来し、それぞれの国の子どもたちにインタビューや質問紙、観察調査などをしながら「子どものお金のもらい方、使い方、良い使い方、悪い使い方」などについて調べ、そこから子どもたちの親子関係や友達関係、また自立の過程を文化によって比較しながら研究したものです。私がお小遣い研究を最初にやったのは1991年ですが、国際共同研究としても10年以上みんなで取り組んできました。

「お金」が絡む研究だけあって(?)早速日本経済新聞にも書評が出ましたが、その中でも特に注目されたのが「研究者が意見の対立を乗り越え、どう相互理解にたどりつくかも焦点のひとつ。グローバリズムの進展が生む文化的な緊張を、研究者の心の葛藤に置き換えて考察した点に意義がある」という点です。

「子どもとお金」の本でこの問題に正面から取り組んで議論を展開したのが、ほかならぬ呉宣児さんでした。その姿勢が今、書評の筆者など、いろんな人に大事な問題提起をし始めているのですね。ここでのやりとりも、そんな呉さん自身の葛藤がベースになって深みが出てくると思います。もちろん私もそこを大事に考えようとしています。

さて前回は山本から問題提起をして話し合ってみましたが、今回は呉宣児さんに韓国での取材を踏まえて、まず口火を切っていただきます。

【呉 ⇒ 山本】
2016年9月に日本の大学生5人と韓国のソウルを訪れ、韓国の大学生4人と交流の時間をもちました。日韓の学校制度や部活動、祭日から見える文化などについて楽しく意見交換の時間をもった後、本シリーズで使用した以下の例文の状況を想定して、自分がCならDに対してどうすると思うのかについて話し合ってみました。

<想定される状況>
「CさんとDさんは親友です。Cさん(女性)は、親友Dさん(女性)が最近何か悩み事を抱えているようで気になっています。そこである時、それとなく「最近なんか調子悪くない?」と聞いてみましたが、Dさんは「ううん、だいじょうぶだよ」と答えます。でも見ているといつも辛そうに感じられ、心配なのですが、Dさんから話してくれないのだから、それ以上聞くことはできないと我慢しています。」

韓国の大学生たちは、「聞いてみるのは当然である、すぐ話したがらない場合は後で友達の性格に合わせて別の場を作る」「話したがらなかったら待つ、楽な雰囲気で話せるようにする」「どうにかして聞いてみる、話したがらない場合は周りの友達に聞いて事情を把握しておき、本人が言うまで待つ」「まず聞いてみて、話したがらなければ、友達を飲みにつれていく」という答えでした。

日本の大学生たちは、「無理には聞かないけど、何かある時は聞くよ、と言う」「言ってくれない場合、本当に?と反応して、言ってくれるまで待つ」「何でも言える関係の場合はしつこく聞くけど、そこまで親密でない場合は見守る」「言ってくれるまで待つけれども、また聞く」「大丈夫と言っている間は、そっとする、でも自分も一緒に考えるよと伝える」「あまり深く聞かない、いやそうなら聞かない」という答えでした。

たった5人、4人の答えですが、以上の答えを見て読者の皆さんは、日韓の大学生の意見に差があると感じるでしょうか、差がないと感じるでしょうか。日韓の大学生両方において、「友達の性格によって自分の対応は違うと思う」や「いやがるときは、すぐは無理には聞かない」という答え方はかなり共通に出ていました。しかし、その後の行動のイメージについては、韓国の学生は場を作ったり、お酒を飲みにいったりなど、とにかく聞き出す必要があるというニュアンスが強く、日本の場合はやはり、嫌がるときはそれを尊重して無理には聞きださないというニュアンスが強かったようにも感じました。そこで、もう一度次のように聞いてみました。

個々人の状況や性格によってもちろん対応は異なるだろうけれど、それでも①「何とか無理をしてでも聞く」②「無理には聞かないで待つ」から必ず選択しなければならないとしたらどちらなのか聞いてみました。5人の日本人学生は全員②を選び、4人の韓国人学生は全員①を選び、日韓の学生の答えがきれいに分かれたので、日韓の学生はお互いにびっくりしながら笑いました。日本の学生は、言うかどうかの決定権はあくまでも友達にあるとしている感じですが、韓国人学生はどうにかして自分が「言えない状況」を崩してあげるという感じですね。

さて、昨年(2016年)の韓国の大学生、保育士を対象とした調査での「あなたがCならどうしますか」に対する自由回答を少し見てみましょう。「聞いてみる」という言葉が一回でも入っている答えは17人から、「聞いてみる」という表現がなく、「待つ」「聞かない」という言葉が入っている回答は27人からありました。

別の表現が2人でした。しかし、「聞いてみる」という答えにも、「聞かない・待つ」という答えにも、積極的に関わろうとする姿勢が表現されていました。

例えば、「聞いてみる」の回答の中には「いったん距離を置いて状況を見てから聞いてみる、それでも話したがらなければまた聞かずにおくが、その後も様子が良くなければしばらく時間が経ってからまた聞く」「話したがらない気持ちを理解して尊重するが、あとで聞いて話をする」「話したくない心情は理解できるので、次の日にもう一度聞く」「自分の話をまずして誘導する」など、ただ聞くという答えではなく「話したがらないDの心情」を理解しつつ、それでも工夫して悩みを話すことができるようにこちらが努力するというニュアンスが読み取れます。もちろん、話すように努める理由は「1人で悩むより2人で一緒に悩み話し合う方が解決できるから」という理由の人もいるように、話ができるようにすることが助けになると思っているということでしょう。

また、「聞かない・待つ」という答えを見ると、「Dの意思を尊重し、助けを求めてきたら一緒に悩みながら何かの助けになる」「対話を続けながら、まずは心を開けるように信頼をして待つ」「Dが言いたくなるまで待ってあげるが、気にかけていることを継続してアピールする」「いますぐ話したくないならその理由があると思うので、話したくなるまで待ってあげ、友達のどんな話でも良く聞きながら隣に居てあげる」「自然に話ができるように私の悩みを話す」など、「聞かない・待つ」と表現した場合でも何にもしないで待つというのではなく、かなり積極的に働きかけながら待っているという内容の答えが多くありました。

無理にでも働きかけた方が結果的によいというのを、「無理に・善」として、あまり無理にはせず、あくまでの本人の意思で動くまで待つというのを「待つ・善」として考えてみますと、もちろん、日本にも韓国にも両方あると思いますし、個々人の置かれた状況によってどれを選ぶかも違うだろうと思いますが、韓国では「無理に・善」の文脈もそれなりに強いのかな~と思われます。この「無理に・善」の対応は、アンケートで聞いているような、友達が困っているときに限らず、生活の他の領域でも生きる上での一つの戦略・やり方としてあるかもしれません。中国や韓国についてそれなりに詳しい山本さんは、こんな様子についてどう考えているのでしょうか。

【山本 ⇒ 呉】
いや、詳しいって、そういう風に自分のことを感じたことはほとんどありません。ただ、中国や韓国をほとんど知らない方から比べると、「よりたくさんの謎を感じている」とは言えるかもしれません。とにかく知れば知るほどわからなくなるというのが実感ですね(笑)。

ところで呉さんが言われるこの「無理に」というのは、私の「日本的」な感覚からすると「強引」という感じがすることがあって、そこは中国の人との間のやりとりでも同じような感覚になることがあります。頭ではそれは「親切」なんだろうと思うのですが、感覚的に「無理強い」された感じになって困惑する。そんなことがときどきありました。それが続くと心が疲れてくる、ということもありました。

でもそういう経験を経て改めて日本の中での自分たちのやりとりを見てみると、逆に日本では相手に「配慮」して「遠慮」して「見守る」みたいな感じが強すぎて、本当はもっと強引にでも話し込まなければならないんじゃないかというときもあるんです。それがなければお互いにどんどん距離が出来て、みんな孤立してどうしようもなくなる。

この間ある人と話をしていて、最近特に相手のことを考えすぎて極端に本音で話ができなくなっていることが目立つんじゃないかと私が言ったら、その方は、というよりそもそも本音がなんなのか、自分の気持ちがなんなのかもわかんなくなっているんじゃないかと言われていました。たしかにそんな気もします。

で、その反動なのか、逆に全く相手のことを考えていないように感じられる激しい一方的な攻撃なども目立ってきているように感じられる。なんか両極端というか。ここはほんとにバランスがむつかしいという気がします。


さて、呉さんが書かれている韓国でのエピソード、ほんとにおもしろいですね。昔、呉さんも参加されてみんなでやった「円卓シネマ」という試み(「アジア映画をアジアの人々と愉しむ―円卓シネマが紡ぎだす新しい対話の世界」2005 北大路書房刊)でもちょうど同じようなことがありましたよね。

そこでとりあげた映画の一つで、韓国で大ヒットした「友へ チング」というのがありました。四人の幼馴染のうち二人がやがて対立するやくざの幹部になり、最後はその一人が凄惨な殺し合いで死んでいきます。私にとってはそれは友情の破たんとしか見えず、その悲惨な展開にげっそりしてしまって二人の別れのシーンなど、ただぼーっと見過ごすだけだったのですが、韓国のみなさんはそこでものすごく感動しているのでびっくり。なにしろDVDについているボーナス映像では、映画の感想をインタビューされた韓国の老若男女、街の普通の人から国会議員までみんな感動の面持ちで「ここにこそ本当の友情がある」とかいうので、もう頭がぶっ飛びそうでした(笑)。

それじゃあということでそのシーンで感動したかどうかを日本・中国・韓国・ベトナムのみなさんに挙手で一斉に尋ねてみたらほんとにキレイに、ひとりの例外もなく日本とその他に分かれたので、仕組まれたのではないかと思うくらいでした。私がその時は思いついて突然聞いてみたので、決してあらかじめ仕組んではいなかったことは保証しますが(笑)。

まあ、その場の雰囲気で、なんとなくほかの人たちの反応を察しながら自分の意見を調整して答えたという可能性は全くないとは言い切れませんし、そういうことがあればそれもまた文化という現象の一面かなとも思いますが、何かのポイントでは実際そこまで極端に分かれてしまうことも起こるわけです。

で、その時に同時に私が興味をもつのは、呉さんも書かれているように、一人一人の具体的な意見の中では、結構どちらも同じようなポイントを指摘したりして、差がそれほどクリアには見えにくいこともあるという点です。これ、文化ということを考えるときにすごく大事な部分のような気がしているんですが、ある意味同じ人間ですから、個々の点ではそんなに極端に感じることに違いがあることは少なくて、だいたいバリエーションは共通していたりする。ところが呉さんがされたように、それらのいろんな要素を全体としてどう評価するか、どう関係づけて理解するかという話になると、そこでガラッと状況が変わることがあるわけです。

今回の事例で言えば「相手に配慮して聞かない」という要素と「相手を心配して聞く」という要素と、そのどちらも日中韓のみなさんから出てきます。でもどちらをメインにしてどちらを補助的な位置にするかで分かれてしまう。韓国は「聞く」のがメインで、「聞かない」要素をそこに加えてバランスをとる。日本は「聞かない」のがメインで、そこに「聞く」要素を加えていく。そんな感じになったわけですよね。

ちょっと理屈に走ってしまいますが、この話を中国政法大学の心理学者の片成男先生は「両義性」という概念で考えています。もともとは発達心理学の鯨岡さんが強調された話ですが、人の自我は個と集団、私と他者といった異質な要素の間の緊張関係の中に成り立っている、ということを重視し、その関係の展開として子どもの発達を考えていくわけです。

その話に当てはめて考えれば、友達関係についても、「相手のために聞かない」という力と「相手のために聞く」という力、あるいは相手と一体化しようとする力と、距離を取ろうとする力がせめぎあうという状態が誰にでも起こるわけで、その緊張関係についてなんらかのバランスをとって友達関係を展開する。そこは日本も韓国も中国も同じで、ただその両義性の現れ方が違うんだということになります。

この考え方が優れているなと思えるのは、文化の差を何か固定したものとして見るのではなく、いろんな力がダイナミックに揺れ動くなかで生み出される動的なものだという見方が可能になるところでしょう。そこから異文化間の相互理解についても変に偏見にこり固まるのではない、柔軟な形が見えてくることになります。


そのあたり、もう少し具体的にどうなのか、今回の調査では「親友とは何か」などについても質問しているので、次回はそのことについて、日中韓のみなさんの意見を見ながら考えてみられればと思います。

<自由記述欄>
(自由記述については次回以降、内容を紹介させていただくことがあります。もしお望みでない方は、記入時にその旨をお書き下さい。またご回答についての著作権はCRNに移転するもの<CRN掲載のほか、書籍への掲載など、自由に利用することができます>とさせていただきますので、ご了解のほど、よろしくお願いいたします。)

筆者プロフィール

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山本 登志哉(日本:心理学)

教育学博士。子どもとお金研究会代表。日本質的心理学会元理事・編集委員。法と心理学会元常任理事・編集委員長。1959年青森県生まれ。呉服屋の丁稚を経て京都大学文学部・同大学院で心理学専攻。奈良女子大学在職時に文部省長期在外研究員として北京師範大学に滞在。コミュニケーションのズレに関心。近著に「ディスコミュニケーションの心理学:ズレを生きる私たち」(高木光太郎と共編:東大出版会)


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姜英敏 Jiang Yingmin(中国:教育学)

教育学博士。北京師範大学国際比較教育研究所副研究員、副教授。1988年~1992年に北京師範大学教育学部を卒業。1992~1994年、遼寧省朝鮮族師範学校の教師を経て、北京師範大学国際と比較教育研究所で修士号、博士号を取得し、当所の講師として務め、現在は副教授として研究・教育に携わっている。在学期間中、1997年~1999年日本鳴門教育大学に留学。また2003年~2005年はポスドクとして、日本の筑波大学に留学し、研究活動を行い、さらに中央大学や早稲田大学、青山学院大学の教員と積極的に日中の学生間の交流授業を進めてきた。日本と韓国、中国を行き来して、実際の授業を観察した道徳教育の国際共同比較研究。


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呉宣児 Oh Seon Ah(韓国:心理学)

現在、共愛学園前橋国際大学・教授。博士(人間環境学)。韓国済州島生まれ育ち。韓国で大学卒業後、一般事務職を経て、1992年留学のため来日。1995年お茶の水女子大学大学院家政学研究科修士課程(児童学専攻)修了、2000年九州大学大学院人間環境学研究科博士課程修了(都市共生デザイン学専攻)。その後、日本学術振興会外国人特別研究員、九州大学教育学部助手を経て、2004年から共愛学園前橋国際大学に赴任。文化心理学・発達心理学・環境心理学の分野の研究・教育活動をしている。単著「語りから見る原風景―心理学からのアプローチ」(2001) 萌文社、共著「「大人になること」のレッスンー「親になること」と「共生」」(2013) 上毛新聞社、ほか多数。前橋市の地域づくり推進活動のアドバイザーや地域の小学校で絵本読み聞かせボランティア活動等もしている。

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