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第4回-③「『困っているときにどうする?』韓国の人の意見も聞いてみる」

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【読者参加型共同研究「日本、中国と韓国、何がどう違う?」】
第4回-③「『困っているときにどうする?』韓国の人の意見も聞いてみる」

(1)相手を思って「強く聞く」

韓ドラを見ていると、悩んでいそうな友人や家族を見て、「ケンチャナ(大丈夫)?」などと声をかけ、相手が「ケンチャナ」と答えても引き下がらず、「マレバ(話しなよ)!」などとさらに迫っていくシーンによく出会い、とても印象に残っています。よほどのことがあれば別ですが、日本ではそこではそれ以上突っ込まず、引くように思われるシーンでかなり強く迫り続けることが多いように感じられるからです。

また私が興味をもっているのは、そんなふうに相手に強く聞く姿勢が目立って感じられる一方、聞かれたほうはかなりシビアな状況でも「ケンチャナ」と答えることが多く、それもまたかなり徹底していて、「相手のことを思って」本当のことを言わない、というシーンにもよく出会うことです。

ただ、どう答えるにも断言調が多いような印象をもつ中国ドラマとの対比で考えてみると、そのときのごまかし方はややソフトな印象もあります。場合によっては相手に自分を悪者として誤解されることが明らかな状況でも、あえて言わないようなシーンにも出会います。「自分を悪者として見てもらうことで相手のためになろうとする」ような、そんなシーンにもしばしば気づきます。

(2)相手のために「うそ」をつく

たとえば「コーヒープリンス1号店」という、ちょっとおしゃれな恋愛もののドラマで、出生に複雑な経緯があって、実の親以外の家族に(そうとは知らされずに)育てられた男性主人公がいます。彼は実はその秘密の半分を知っていて、本当はお母さんが実母でないことに気づいているのですが、父親に対して「自分がそれを知っていることは母に言わないでほしい」と言います。そして自分は父親が別の女性との間に作った子どもなのだと思い込んでいて、父親に対してなんで実母と別れたのかと聞くのですが、父親は「いやになって捨てたのだ」、というようなことを答えるんですね。しかしそう答えた父親は、実は主人公を引き取った育ての親で、主人公の実父はまた別の男性なのです。

でもその事実を育ての父親は言わない。自分を実の父親と信じさせています。そして妻とその父親の母(主人公の祖母)にその話をすると、祖母は「チャレッソ(よくやった)」とほめてあげるんですね。「あんたが悪者になってあげるほうがいい」と言うんです。結局その後わかってしまうのですけれども。

一方で相手のことを心配して、かなりストレートな感じで強く相手に聞きあう関係がありながら、他方ではそれぞれに相手のことを気遣って、自分が知っていることを知らないことにしたり、相手の誤解をわざと解かずに相手に自分を憎ませることで相手を守ろうとしたりする。そういう微妙な絆の調整の仕方がそこには感じられます。

(3)ドラマなのか現実なのか

日本でも相手に心配をかけないように黙っているということはもちろんあります。いじめを受けても子どもが親になかなか言おうとしない理由の一つも「親に心配をかけたくない」ということだったりします。ただ、そういう感じともなにか微妙に違うような、そんな印象をもつのです。何が違うのかまだよく言葉にならないのですが。

これはドラマだからそうなのでしょうか?それとも実際に日常生活の中でもそうなのでしょうか?

前回は日本で長く暮らしている呉宣児さんとその家族の意見が紹介されましたが、日本で生まれ育った娘さんも含め、話そうとしない友達にさらに聞いていくという姿勢が基本で、本人がかなり嫌がるなら少し様子を見る、という内容の答えでした。

そこで今度は実際に韓国の方(大学生30名、予備保育士・専門保育士19名 男性18.4% 女性81.6%)にアンケートをとって意見を聞いてみました。次に呉宣児さんがまとめて日中韓での比較をしたデータを基に、山本登志哉が少し傾向を整理してみます。

(4)韓国のデータを日中と比較する

まず、悩みを話そうとしない親友(Dさん)に対するCさんの対応に、自分としてはどう思うかを聞くと、韓国ではそのままにしておくのがよいというのが52%、もう少し聞くほうがよいという答えが18%、はっきり聞くべきだという答えが26%(その他4%)という結果でした。これを日本や中国と比べてみると図1のようになります。

問い1 Dさんに対するCさんの対応について、あなたはどう思いますか?

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(そのまま)Dさんの気持ちを考えて見守っているのだから、今の対応がいいと思う。
(もう少し聞く)Dさんの気持ちを考えることも大事だが、もう少し強く聞いてあげた方がいい。
(はっきり聞く)Dさんが悩んでいることは明らかだから、親友としてはっきり聞くべきだ。

この結果は、韓国と中国が「そのまま」がほぼ同レベルで、日本よりやや少ない感じですが、三つの社会の中では韓国が「はっきり聞く」が最も多い、という結果になっています。日本に比べて強く聞く例が多い、という韓国ドラマから受ける印象は、この結果にも表れているようです。

自分についてではなく、周囲の人は一般にどうすると思うかを尋ねてみた結果は、「そのまま」が62%、「もう少し聞くべき」が16%、「はっきり聞くべき」が20%(その他2%)でした。「そのまま」と答えた割合は、日本に近く、「はっきり聞くべき」という答えは中国>韓国>日本という順になっています。こちらは韓国が日本と中国の間で、日本に比べるとやはり「もう少し聞くべき」が多いというくらいの感じです(図2)。

問い2 あなたの周囲には、Cさんの対応についてどう考える人が多いと思いますか?

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質問1と質問2を比べると、中国では自分はどう思うか、よりは周囲の人がどう考えるか、と聞かれた場合のほうが、「そのまま」は少なく、「もう少し・はっきり聞く」が評定値が多いという傾向がはっきりしています。逆に韓国と日本は周囲の人について聞かれた場合のほうが「そのまま」という答えがやや多くなり、さらに日韓を比べると韓国の方が「はっきり聞く」がやや多いという感じでしょうか。

アンケートでは「自分はどうか」という質問への答えと「周囲の人はどうか」という答えにはズレが見られることが多いようで、おそらく「自分はどうか」という回答の方が「望ましい答え」に引き寄せられる傾向があり、逆に「周囲の人はどう考えるか」という回答の方が、実態に近いのではないかとも考えられます。

あまり確定的には言えませんが、仮にそういう傾向があるとすれば、中国では「はっきり聞く」傾向がもともと強く、ただし今回のような問題の設定(あまり聞かないことが「相手への配慮」になる可能性が示されている)ではかなりそれが抑えられるのに対し、韓国では「はっきり聞く」のが望ましく考えられるが、実際には中国ほどには強く聞かない(ただし日本よりは聞く)、という感じになっているのかもしれません。このあたりは「本音と建て前」の構造の文化差にもかかわるところですし、もう少し調べてみたいように思います。

(5)相手のために「強く聞く」のか「見守る」のか

この三つの社会のデータを見てみると、「はっきり聞く」か「そのまま」見守るのかという対応については、もしかすると二つの要素が関係しているかもしれないと思えてきます。

親しい人について心配をする、というのはどこの社会でもふつうにみられることでしょう。では相手が悩みを抱えているように思えるとき、どうすることが「相手を心配する」のに適した行動なのか、ということについて、二つの方向があるように思えます。

ひとつは「一緒に問題解決をするために、悩みを共有しようとする」という姿勢です。「友達なんだから(子どもなんだから、親なんだから...)気持ちや問題を共有すべき」といった感じ方がそこでは強くなりそうです。

もうひとつは「相手が<自分の力>で解決できるように、援助してあげる」という考え方で、そのためには「今は辛すぎて言えなさそうなら、言えるようになるまで待ってあげる」とか「言えるようになる条件を作るように気を使ってあげる」というような姿勢が良いことと考えられるでしょう。

前者の場合はその姿勢に反する行動は「(相手が自分に遠慮して悩みを隠すのは)水臭い」とか「(相手が言わないのは)自分を信頼していないことになる」「(相手に強く聞かないのは)相手に対する情が浅いからだ。本当に親しい仲とは言えない。」というような否定的な意味づけが行われるかもしれません。

後者の場合は「(相手が言わないときに)無理に聞くのは相手を尊重せず、大切にしていないことになる」「(相手が言わないのは)自分に気を使ってくれていることで、その相手の気持ちは尊重しなければ」という考え方が伴っているようにも感じます。

(6)葛藤する二つの要素をどう調整するのか

その二つの方向性は、誰にでも、そしてどの社会にでもあるのでしょう。今回の質問はその両方の要素が葛藤するような場面になっている、と考えられますから、そこで回答者は迷いながらどちらかを選択するのですが、どういう場面でどちらを選択するのか、とか、あるいはどちらを多くの場合にベースにするのか、というところで、いわゆる「文化差」が見られる可能性があります。

とりあえずその視点から整理してみると、この質問で設定したような状況の場合は中国は「はっきり聞く」関係がわりあいにベースになりやすく、状況によって「相手の気持ちを尊重する」という姿勢がその基本的な傾向にブレーキをかけるのに対して、日本はその逆になり、韓国はどちらかというと「はっきり聞く」関係がベースで、しかし中国に比べると「相手の気持ちを尊重する」姿勢がそこに結構強くからんでくる、というような見方ができるかもしれません。

まあ、あまり単純に図式化してステレオタイプ化してしまっても、また単純な偏見にもつながりかねませんし、いろいろ問題が起こると思いますが、ひとつの視点のもち方として、考える手掛かり、ひとつのステップにはなるかもしれません。

ここまでは呉宣児さんがまとめてくださったデータを基に山本が意見を書いてみましたが、以下は呉宣児さんの意見を聞いてみます。

(7)人間関係の感覚もゆっくり変わっていく?

「相手のために強く聞く」か「相手のためにそっと見守る」かは、日本、韓国、中国でそれぞれにある程度の傾向があったとしても、各々の人は置かれた具体的な状況によって対処は異なるでしょうね。

あくまでも私の個人的な経験からの主観的意見ですが、時間は少しかかるかもしれないけれど、友人自身で悩みながらなんとかするかな~と思われるときは、本人が言いたがらなければ聞きませんが、とても深刻で危機的状況のように思われるときは、本人の意思に関係なくまずは強く聞き、共有しつつ解決策を探すかなと思います。良くないことの場合は強く問いただし、叱る必要があるときは叱ることもありだと思います。

一つのエピソードを思い出しました。親友という関係ではないですが、大学院時代に一人の院生(日本人)の行動に対して周りの多くの人が不満をもちつつも誰も直接言えなかったので、私はみんなのためと思い、私が犠牲者になるつもりで、直接ぶつけて話をしたことがあります。話と言っても時に大声で言うなど半分喧嘩気味だったのですが、その場では私の「意見・論理」に落ち度がなかったので、彼は何も反論せず、了解していたように思われました。途中で大声を出したことに関しては私の方から謝りました。それで全て私は解決したと思っていたのですが(実際にたくさんのことが解決はしましたが)、実際は彼の心情的には納得がいっていなかったことを、後々になって悟ったということがあります。

いくら正しいことであっても、その人の目の前で直接指摘をすると、もちろん不愉快な気持ちになることは当然ですが、時間が経つとその気持ちはなくなると思っていました。ですが、実際それはなかなか難しいことのように感じられました。彼と私の関係は元通りにはならなかったのです。

こういうことを経験すると、ネガティブなことを言う時には、「相手と完全に関係が切れても仕方がない」と覚悟を決めてそうするか、あるいは、我慢してそのままにしておくかのどちらかになるのかな~と、私は考えるようになったと思いますね。こんな経験をしながら、また心理学の勉強をしていることもあって、私の行動・態度も少しずつ変わってきていると思います。20年前と比べると、以前のような親密な関わりから少し距離を置いた関わりへ一部変化した部分もあります。

ただし、それは、他人の気持ちを配慮してという部分もあるのですが、もう一方では、他人に深く関わる余裕が私にはなく、ある意味自分のために距離を置くという部分があるのも確かだと思います。韓国の社会で成長してから、日本という別の環境に身を置くことによって、良くも悪くも、もとからの自分の感覚とは異なる感覚も体得しているので、それを使いわけているということでしょうか。

(8)<秘密の共有は宝>なのか、<聞く・話すも商品の時代>なのか

友達の悩み・秘密を共有することによって、互いの気持ちの通じ合いを確認し、関係も深まる面があると思います。要するに、悩みや秘密の共有はお互いの関係にとって宝のような役割をするのですね。

でも、一方では、人の悩みや秘密、プライベートな話を聞かされることに負担を感じる人も多いらしく、「私はカウンセラーでもないし、お金ももらってないので、あなたの個人的な話は聞きたくない」という反応もたまに見かけたりもするのです。

昔は、日常生活の人間関係のなかでお互い話をすることによって自然に相談になったりすることも多かったと思いますが、今は専門カウンセラー、相談室、病院などでお金を払って「話して・聞いてもらう」など、こういったことも一定程度専門分野化・商品化されていると思います。そこには秘密厳守の義務やプライバシーという考え方も関連しているでしょう。そんな流れの中でも、商品化の領域とされず、関わりの程度や置かれた状況によって、人間関係の意味づけられ方が多様に分化しつつある様子は、文化として見なされるかもしれないとふと思いました。


調査ではみなさんから自由記述でご意見もいただいています。ひとつひとつにいろいろ考えさせられることもあるように思いますので、次回はすこしそれを手掛かりにして議論を深めてみたいと思います。


謝辞:韓国の方の調査にあたりご協力いただいた、崔順子さんに御礼を申し上げます。


<自由記述欄>
(自由記述については次回以降、内容を紹介させていただくことがあります。もしお望みでない方は、記入時にその旨をお書き下さい。またご回答についての著作権はCRNに移転するもの<CRN掲載のほか、書籍への掲載など、自由に利用することができます>とさせていただきますので、ご了解のほど、よろしくお願いいたします。)

筆者プロフィール

Yamamoto_Toshiya.jpg

山本 登志哉(日本:心理学)

教育学博士。子どもとお金研究会代表。日本質的心理学会元理事・編集委員。法と心理学会元常任理事・編集委員長。1959年青森県生まれ。呉服屋の丁稚を経て京都大学文学部・同大学院で心理学専攻。奈良女子大学在職時に文部省長期在外研究員として北京師範大学に滞在。コミュニケーションのズレに関心。近著に「ディスコミュニケーションの心理学:ズレを生きる私たち」(高木光太郎と共編:東大出版会)


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姜英敏 Jiang Yingmin(中国:教育学)

教育学博士。北京師範大学国際比較教育研究所副研究員、副教授。1988年~1992年に北京師範大学教育学部を卒業。1992~1994年、遼寧省朝鮮族師範学校の教師を経て、北京師範大学国際と比較教育研究所で修士号、博士号を取得し、当所の講師として務め、現在は副教授として研究・教育に携わっている。在学期間中、1997年~1999年日本鳴門教育大学に留学。また2003年~2005年はポスドクとして、日本の筑波大学に留学し、研究活動を行い、さらに中央大学や早稲田大学、青山学院大学の教員と積極的に日中の学生間の交流授業を進めてきた。日本と韓国、中国を行き来して、実際の授業を観察した道徳教育の国際共同比較研究。


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呉宣児 Oh Seon Ah(韓国:心理学)

現在、共愛学園前橋国際大学・教授。博士(人間環境学)。韓国済州島生まれ育ち。韓国で大学卒業後、一般事務職を経て、1992年留学のため来日。1995年お茶の水女子大学大学院家政学研究科修士課程(児童学専攻)修了、2000年九州大学大学院人間環境学研究科博士課程修了(都市共生デザイン学専攻)。その後、日本学術振興会外国人特別研究員、九州大学教育学部助手を経て、2004年から共愛学園前橋国際大学に赴任。文化心理学・発達心理学・環境心理学の分野の研究・教育活動をしている。単著「語りから見る原風景―心理学からのアプローチ」(2001) 萌文社、共著「「大人になること」のレッスンー「親になること」と「共生」」(2013) 上毛新聞社、ほか多数。前橋市の地域づくり推進活動のアドバイザーや地域の小学校で絵本読み聞かせボランティア活動等もしている。

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