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第4回-②「『困っているときにどうする?』日本人と韓国人が考える」

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【読者参加型共同研究「日本、中国と韓国、何がどう違う?」】
第4回-②「『困っているときにどうする?』日本人と韓国人が考える」

前回の結果とそれについてお寄せいただいた読者の方のご意見などを踏まえ、呉と山本で少しやりとりをしてみました。みなさんはどう思われるでしょうか。

【山本 ⇒ 呉】
今回のテーマは高校生の友達関係(Cさん/Dさん、女性)について、心配な状態だけれども、本人が悩みを話してくれないときにどうしたらよいかということでした。私自身は中国での経験から、友達が悩んでいるときには日本よりもかなり突っ込んで相手に聞こうとする傾向が強いことを感じました。また、今回から参加していただいている呉宣児さんの故郷、韓国についても、私が好きで韓ドラなどを見ていると、なかなか悩みを打ち明けようとしない親友に、すごい勢いで「話しなさい!」と迫るシーンを何度も見ました。

それに比べて日本では距離を置いて見守るスタイルがすごく多く、中国や韓国の人から見たら「冷たい」と感じられるのではないだろうかと思ったりもしたものでした。実際、前回のウェブ調査に寄せられた日本の読者の方からの感想には「中国の方たちは、情に篤く、日本人はドライな傾向があるのかな?と感じました。個人的には、あまりおせっかいをやきたいとは思わず、話したくないのであれば基本的に放っておくと思うのですが、これは日本人でもかなり感覚が分かれやすそうだなと感じました。」(女30代)というものもあります。

今回の結果は、その私の印象にはよく対応するものでした。問題の設定が「でも見ているといつも辛そうに感じられ、心配なのですが、Dさんから話してくれないのだから、それ以上聞くことはできないと我慢しています。」となっていて、「Dさんのためには聞かないことが配慮」という流れが作られていますので、それが答えるときにバイアスになった可能性があります。でもそれにもかかわらず、やはり中国の回答者は日本に比べてより積極的に「聞く」姿勢を強く示していますし、さらに周囲の人はどうかと聞くと、その傾向がかなり極端に表れています。

つまり、一つの解釈として、中国の場合では一般的に「より強く聞き出そうとする」ということが「普通のこと」と理解されていて、ただ、この事例の場合は「Dさんのためには聞かないことが配慮」という文脈がなんとなく見えるので、「自分(回答者)は普通よりもその状況に配慮しているんだ」という意識が働いた、その結果問1では半数が「そのまま」を選んだのだ、ということであった可能性があります。

関連して私がとても興味をもったのは、中国ではもし自分が悩みを抱えた方であったとしたら、相手にそれを積極的に伝えたり、あるいは何らかの理由で伝えられない状態にあるときには「自分が伝えられないことを積極的に相手に伝える」ような回答が多かったということです(問3の自由回答)。つまり、ここでも「悩みがあったら親友とは積極的に語り合う」ということが前提になっている様子がうかがえるわけです。

とりあえず私の方はそんなことが面白かったですが、さて、生まれ育った中で得た韓国的な感覚はもちろん、すでに日本で長い年月を暮らし、子育てもしてきて日本的な感覚もご存知の呉さんからはどう見えるのでしょうか?特に中国の方の回答にどういう印象をもたれるのか、親和感か違和感かはちょっと興味があります。

【呉 ⇒ 山本】
日中のデータについての山本さんの解釈を読ませていただきました。データそのものに差があることは、やはり面白いですね。韓国ではデータをとってないので、私の感想・意見ということで述べてみます。

設問を読んだときに、私がCなら、やはり悩んでいるように見えるDにいろいろ聞いてみると思いました。Dがあまり話したがらないように見えても、何とか気持ちを落ち着かせて聞き出して、自分で助けられる範囲を考えるだろうと思います。Dが悩みを話してくれたら、ちゃんと一緒に考えると思いますが、もしもDが話してくれない時には、「私に何か問題があるのか」「私はDの親友ではないのか」とすこし悲しい気持ち、裏切られた気持ち、不快な気持ちになる可能性があると思います。ただし、これは私の感覚での意見ですので、現在の高校生まで広げて一般化して言えるかは分かりません。

念のため、私の家族(夫:韓国人)にも聞いてみたところ、私とまったく同じ意見が出ました。「友達の意見を尊重して見守る気持ちで言ってくれるまで待つ」ということはなく、言ってくれないから待つしかないのであって、相手を配慮して待つのではないと言っていました。また、例えば友達が普通の状態ではなく、何か精神的な病気などにかかっている場合は、病気のことを考えてそっと待ってあげることはできると言っていました。

高校生の娘にも聞いてみました。娘は、国籍は韓国ですが日本生まれの日本育ちですので、きっと一般的な日本人の答えに似ているだろうと予想しながら聞きましたが、娘は「絶対最後まで聞き出す」と答えていました。実際に、友達に何か悩みがありそうだった時に、何度も聞くことで友達が話してくれた、ということがあったようです。「すぐ言ってくれないときは、時間を少し置いて後で自分から聞くけれど、そのうち互いに忘れることもあり得る」と言っていましたが、親のように、言ってくれないことに対するネガティブな感じはないようでした。韓国人の親と暮らす娘にとっては、思ったことをすぐに言うことはかなり当たり前の感覚のようですが、こういったケースについてもさっぱりした感覚をもっているように見受けられました。大人数調査をしたわけではないので、いまの韓国の高校生の感覚がどうなのかははっきり言えませんが、機会があれば確認してみたいですね。

【山本 ⇒ 呉】
うーん、やっぱり私が想像していたような感じ方をされるんですね?それにしても、日本生まれで日本育ちの娘さんも呉さんとまったく同じ意見ということはとても興味深いことでした。ほかの人の話を聞いた経験からも、やっぱり「二世」は基本的には親(そしてその中でも多分密着度の高い母親)の感覚を深く受け継ぐのかなという気がします。この基本的な対人関係の感覚というのは、そう簡単には変わらないんでしょうね。

娘さんが日本の友達に対してつっこんで繰り返し話を聞く、という状況は、その日本の友達にとってどういう感じで受け止められるのかなとちょっと考えてみました。これも私の限られた経験からの想像にすぎませんけれど、最初はちょっと戸惑いながら、でもじわっとうれしさを感じる人が多いような気がします。 日本の友達関係の中ではそんなふうに突っ込んで聞いてくる友達は実際にはかなり少ないと思いますし、そこにはお互いに「遠慮」みたいなものが働く感じがするのですが、でもやっぱり日本の子でも本当は聞いてほしいという願いをどこかで抱いている人が少なくないと思うんですね。

韓ドラが日本でかなり受け入れられた背景のひとつには、そういう「篤い関係への日本人のあこがれ」みたいなものがあるんじゃないかなと、そんな気もするんです。

日本の読者の方の意見にはこんなのもありました。「日本の大学生の回答に驚きました。こんなにも自分に責任があるかもしれないと思わない人が多いとは。」(男20代)そしてこの方自身は自分ならどうするかという設問に対して「自分の事で何か気に入らない事があるが、高校という狭いコミュニティもありはっきり言えずに悩んでいる可能性も考えられる。『言いづらいかもしれないけど、言って欲しい』や『直して欲しい点があったら直す』等の文言を組み込んで、再度どうして悩んでいるのかを聞く。自分もあなたの姿を見てこれだけ苦しんでいるということをしっかりと伝える。そうすることによって、正直に話してくれる可能性が高くなると思う。」と答えられています。ちょっと中国や、呉さん一家のスタイルに近いですよね。でも、この方が驚かれたようにそういうスタイルを表に出す人は少ないのだと思います。

どうなんでしょうか、そういう日本人に多いスタイルに、呉さん自身が「冷たさ」や「寂しさ」を感じられることはあるのでしょうか。そんなとき、どんなふうにその違和感を乗り越えてこられたのでしょうか?

【呉 ⇒ 山本】
どうだったかな~と思い出してみます。そもそも「すごく悩んでいるようだけど話してくれないな~」と感じた場面があまり思い出せません。はっきり表に出さないから、見ても気づかず通り過ぎてしまったかも知れません。留学生時代を思い出してみると、周りの友人たちは「私いま憂鬱です~」とか「ああ、病んでいる~」とか普通に言っていたなと思い出しました。でも、それは論文がうまく進まないなど大学生活の範囲での話だったと思います。本当に困ったときにはむしろ、何にも表してなかったかもしれませんね。

そういえば、日本人はプライベートなことはあまり話さないという印象をもっていました。韓国人の私は、他の人は知らない、その人のプライベートが分かってこそ友達になるという感覚があります。でも日本人は、あまりプライベートな話までは深くしないので、「冷たい」と感じるほどではないですが、「一定以上は深まらない」という感じはあったと思います。院生時代に、同じ研究室の院生に誘われて何回か二人で食事に行ったり、買い物もしたりしたのですが、話の範囲はあくまで学校や食べ物などについてが主でした。ある時に、彼女は私をものすごく親友として表現しましたが、私には全然親友の感覚がなくて、「ご飯を何回が食べながらおしゃべりしただけなのに、何が親友なんだろう~」と、とても違和感を覚えたことがありました。その時の私の基準にはおそらく、「私だけが彼女の秘密を知っている」という感覚があってこそ親友であるという部分があったのかもしれません。

日本人の感覚に慣れてくると、「(相手が)日本人だから」と理由付けて、自分流に解釈して納得する方略を取るようになったと思います。そして、私自身も「日本人だから聞かない方がいいかな」と自ら調節をしているので、日本人の知人が深いことを言わなくても、他の韓国人が感じるような感覚にはならない場合が多いと思います。アメリカに行けば「ハグ」するけど、日本では「おじぎ」するという適応の仕方を心理・内面的な部分にもある程度適用しているということでしょうか。日本人に接するときは「個々人」として見ながらも、「文化」という枠組みを当てて判断することも多かったと思いますね。それによって「寂しさ、冷たさ」として処理せず、自己防衛ができたのかもしれません。

【山本】
なるほど。そもそも呉さんが接した周囲の日本人の方は「悩みを見せない」感じだったわけですね。おっしゃるように「見せない」のか「わかりにくい」のか、そのあたりも興味深いところです。「私いま憂鬱です~」とかいう表現は、たぶんちょっとしたサインなんだと思いますし、そこが手がかりでさらに深まっていくこともありそうな気もしますが、そのあたりの感覚も違うのかもしれません。

親友の「定義」の違いはとても面白いです。韓ドラを見ていて感じる韓国的世界そのものという感じでしょうか(笑)。


自分の悩みをほかの人に表現するとき、読者の皆さんならどうするのでしょうか?呉さんの感じ方についてどう思われるでしょうか。そのあたりも興味深いところです。ぜひ皆さんのご意見をお寄せください。

なお次回は韓国のデータもご紹介できればいいなと思い、ちょっと検討中です。

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筆者プロフィール

Yamamoto_Toshiya.jpg

山本 登志哉(日本:心理学)

教育学博士。子どもとお金研究会代表。日本質的心理学会元理事・編集委員。法と心理学会元常任理事・編集委員長。1959年青森県生まれ。呉服屋の丁稚を経て京都大学文学部・同大学院で心理学専攻。奈良女子大学在職時に文部省長期在外研究員として北京師範大学に滞在。コミュニケーションのズレに関心。近著に「ディスコミュニケーションの心理学:ズレを生きる私たち」(高木光太郎と共編:東大出版会)


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姜英敏 Jiang Yingmin(中国:教育学)

教育学博士。北京師範大学国際比較教育研究所副研究員、副教授。1988年~1992年に北京師範大学教育学部を卒業。1992~1994年、遼寧省朝鮮族師範学校の教師を経て、北京師範大学国際と比較教育研究所で修士号、博士号を取得し、当所の講師として務め、現在は副教授として研究・教育に携わっている。在学期間中、1997年~1999年日本鳴門教育大学に留学。また2003年~2005年はポスドクとして、日本の筑波大学に留学し、研究活動を行い、さらに中央大学や早稲田大学、青山学院大学の教員と積極的に日中の学生間の交流授業を進めてきた。日本と韓国、中国を行き来して、実際の授業を観察した道徳教育の国際共同比較研究。


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呉宣児 Oh Seon Ah(韓国:心理学)

現在、共愛学園前橋国際大学・教授。博士(人間環境学)。韓国済州島生まれ育ち。韓国で大学卒業後、一般事務職を経て、1992年留学のため来日。1995年お茶の水女子大学大学院家政学研究科修士課程(児童学専攻)修了、2000年九州大学大学院人間環境学研究科博士課程修了(都市共生デザイン学専攻)。その後、日本学術振興会外国人特別研究員、九州大学教育学部助手を経て、2004年から共愛学園前橋国際大学に赴任。文化心理学・発達心理学・環境心理学の分野の研究・教育活動をしている。単著「語りから見る原風景―心理学からのアプローチ」(2001) 萌文社、共著「「大人になること」のレッスンー「親になること」と「共生」」(2013) 上毛新聞社、ほか多数。前橋市の地域づくり推進活動のアドバイザーや地域の小学校で絵本読み聞かせボランティア活動等もしている。

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