2.姜英敏の解釈(訳:山本登志哉)
日本のweb回答者の感想を見て、実際驚きました。私自身はもう長年中日文化理解に関する研究をやってきて、「中日文化の相互理解の集団的な対話の試み」という取り組みを何度も行い、そこでは「所有」の問題についての対話が中心的な課題でもありました。ですから、今回議論するテーマに対して日本の回答者がどう反応するかについても、ある程度は予想ができていました。けれども今皆さんの感想を読んで、またもやなんとも居心地の悪い、理解しがたい思いを経験したのです。みなさんの回答はそれほど私の予想を超えたものでした。
(1)目立つ行動
まず、私にはJAさんの意見が予想外でした。「他のママに気前のいい人と思われていたのかもしれません。......Aさんが目立ったことが嫌なのかもしれません。嫉妬のひとつかも。」
注目すべきことは、CがAに指摘した問題は「どうしてそんなに分けたがるのか?」であって、「どうしてあなただけが皆に分けるのか」ではない、ということです。
「目立つ」という視点!少なくともこのテーマを選んだ時、私はただ「所有」という視点からの意見の違いを考えていて、「目立つ」という視点からも解釈できるとは思いもしませんでした。けれどももしこの視点から注意深く考えていけば、たしかにCはAの行動を「目立つ」と感じ、不愉快になることもあり得ます。(ただしその「目立つ」という意味は以下のようなことです)。
Cの言い分というのは「おもちゃをみんなに分け与えないか、あるいは(分け与えるなら)名前を書いて分け与えるか」ということです。そして「みんなにおもちゃを分け与える」行為は「よく気が利き、気持ちが大きい」ことの象徴で、「おもちゃに名前を書く」という行動は「物惜しみで気が小さい」ことの象徴となります。この二つの異なる性質の行動が一人で見られるというのは、あまりに「目立つ(目につく)」ことではないでしょうか?
少なくともCから見れば、Aがおもちゃに名前を書いた瞬間に、子どもたちにおもちゃを分け与えた「気持ちの大きさ」は「おもちゃを失うことを恐れる」という「気の小ささ」に変わってしまうわけで、これこそが彼女がすっきりしない理由なのです。
では、どうして「自分のおもちゃに名前を書く」ことが「物惜しみで、気が小さい」ことになるのでしょうか?回答者JBさんとJCさんの見方について考察していくとその理由が一部わかるかもしれません。
(2)どのように「自分のもの」を大事にするかについて
回答者JB、JC、JDさんはいずれも「おもちゃに名前を書く」というやり方は、おもちゃをなくしたり人の物と混じりあったりといった問題を避けるためのもので、「未然に防止する」慎重さであり、またそれこそが「自分のものを大切に使う」ことであるとも考えられています。それゆえ、3名の回答者はみなさんCがなぜこんな疑問を投げかけるのかの理由が分からないと書かれるのではないでしょうか。
実際、おもちゃに名前を書くのは、他の人(あらゆる人)に対して「自分」の所有権や使用権を強調するためです。この理解については、日中両国の回答者は一致しています。両者が分かれるのは「すべての人に対してこのことを強調すべきかどうか」という点です。日本の回答者は明らかにそれを「全く当然のこと」と考えているようです。回答者JBとJCさんはそれを自分のものを大切にすることと考え、JDさんに至ってはそれが「義務」とさえみなされています。
けれども中国のC(あるいは、調査でCへの支持を表明したすべての中国の回答者)から見れば、この行為は逆に不適切なことなのです。前回の自由記述の分析の中で考察しましたが、この違いの重要な点は「所有権、使用権の異なる認識」にあります。
あるいは、日本の回答者の立場は「私の物とあなたの物を明確に分けることが所有権の境界の意味内容であり、所有権を行使する過程においてもこの境界線を保ち続けられる、ということが所有権が保障されていることの現れであり、他者と円満に付き合う前提でもある」とも言えます。これに対して中国の回答者(あるいはエピソード中のC)の立場というのは、「友達同士の親しさや所有物の価値に基づいて、<共有>と<私有>の適切な距離をつかむことこそが、円満なつきあいの前提である」というものなのです。
(3)中日双方の回答者はどうしてこんな風に考えるのか?
このような一種の文化が形成される原因について解釈を試みること自体、ひとつの大きな冒険的行為となり、私たちはたやすく傲慢で偏見に満ちた世界に入り込んでしまいます。実際JEさんが疑問に思ったように、中国の回答者がJEさん自身とは異なる回答を提出したのは、果たして政治的な影響でしょうか?あるいはJFさんが理解したように、中国文化がこのような特徴を示すのは、多民族国家であるからでしょうか?事実、私たちも様々に探求を続けてきましたが、自分の「理解の図式」に相手の文化を取り込もうとしても、相手を納得させる解答には至りません。これはまさに私たちがお互いの理解に向けた努力を続けるべきポイントなのかもしれません。
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