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第3回-②「『おもちゃの使い合い』自由記述について」(1)

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【読者参加型共同研究「日本、中国と韓国、何がどう違う?」】
第3回-②「『おもちゃの使い合い』自由記述について」(1)

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◎【読者参加型共同研究「日本、中国と韓国、何がどう違う?」】もくじ


1.Cさんについての評価が日中で大きく異なったこと
―山本登志哉

今回の調査エピソードの内容は「Bちゃんのお母さんであるAさんが他の子の分までおもちゃを準備して使わせてあげた。けれども他の子が持ち帰ったおもちゃが返ってこないことがあったため、おもちゃに名前を書いて貸してあげた。するとCさんからそのやり方に『なぜ自分のものと他人のものを分けたがるのか』と疑問を呈された」というものでした。

実際に北京であったこのエピソードについて、Aさんのような人やCさんのような人がどの程度周囲にいるか、AさんやCさんのやり方についてどう考えるか、日中の大学生(教育系)に尋ねてみたところ、その結果は日中でかなり違ったものになりました。

大雑把に言えば、日本ではAさんのように他の子におもちゃを使わせてあげるときに、無くならないよう名前を書いておく人は普通で、Cさんのようにそれに文句を言う人は珍しいと感じられており、逆に中国ではAさんのような人は珍しく、Cさんのような人は多いとまでは言えないが、まあありがち、と思われていることが分かりました。

そしてAさんとCさんのやり方の評価は、日本では圧倒的にAさんが肯定的に評価され、Cさんのみを評価した人は1人だけでした。逆に中国ではAさんを肯定する人は多いですが、Cさんにも賛成する人が4割を超え、Cさんのみを評価する人を合わせると、Cさんを肯定する人は優に過半数を超えます。

つまり、名前を書いておもちゃを貸してあげるAさんについては日中共に肯定する人が多いわけですが、それに疑問を呈するCさんの評価に大きな違いが現れているのです。Cさんは日本ではとても否定的にとらえられ、またそんな人は珍しいと感じられるのに対して、中国では肯定的に見る人も多く、周囲にもそういう人はそれなりにいると感じられていて、少数派ではありますが、Aさんを否定的に見る人もいる、という結果になっています。

かなり印象的な結果ですが、どうして一見些細な日常のひとつのエピソードに対してここまで大きな評価の違いが日中間に生まれるのでしょうか。

ここではまず調査協力者がどういう理由でそのように考えたか、自由記述の具体的な内容を見てみたいと思います。

2.「Aさんのやりかたは当然だと思う。Cさんはおかしいと思う」と答えた人の理由

まず、日本の回答者の記述についてとても印象的なことがあります。それはほとんど考えるまでもなくAさんのやりかたは正しく、そんなことは常識だという記述が圧倒的に多いということで、この選択肢を選んだ36名中(中国からの留学生1名を除く)23名もいらっしゃいます。たとえば次のような記述です。

「どの集団においてもそうだと思うが、借りたら返すのは当然」(J28、Aさんのような人:たくさんいる、Cさんのような人:あまりいない)
「現にBちゃんの友だちが誤って持って帰って自分のと、他の人とのおもちゃの区別が分からなくなるのを避けるために、名前を書くのは全然おかしくないことだと思う。トラブルを未然に防ぐための正しい手段。」(J11、A:ある程度いる、C:ほとんどいない)

逆にCさんについては「おかしい」とか「理解不能」、といった回答が6例あり、「傲慢」、「むしが良い」、「だらしない」、といった人格的な非難や、「そんな権利がない」とか、「事態を理解できていない」といった未熟さへの批判も6例ありました。

Aさんのやることは当然のことで、Cさんはほとんど問題外で感情的に受け付けない、という印象すら受けるような結果でした。

中国でもAさんに賛成し、Cさんを批判する声もそれなりにありましたが、その理由としては日本では36名中3例しかなかった所有権の有無を問題にする記述が、12名中6例と半数もあります。

この結果は日本の場合は「あなたのもの、わたしのもの、とかそういう次元ではなく、自分の持ち物に名前を書くのは当然であると思う。」(J39、A:ある程度いる、C:あまりいない)という回答にも表れているように、あえて「所有権」などという大げさな概念を持ち出す必要もないくらいの常識だ、と感じられていたからかもしれません。もはや事態は権利の有無といった理屈の問題ではなくて、人格の問題になっているのでしょうか。

3.「Cさんの言うことは当然だと思う。Aさんはおかしいと思う」と答えた人の理由

日本では1名の方だけがこの回答を選択されていましたが(A:ある程度いる、C:あまりいない)、自由記述はありませんでした。中国では全回答者30名中5名が賛成されていましたが、その理由はやはり分かち合いが大事だというもののようです(「知り合いの間でものをそんなに分ける必要がない。おもちゃを一緒に使って遊ぶべきだ」(C11、A:ほとんどいない、C:ある程度いる))。

日本では強く否定される例の多かったCさんが、ここでは積極的に肯定されています。ただし日本の回答者にも「両方の言うことが理解可能」という形でCさんについても肯定する人は8例ありましたので、次にその内容を見てみましょう。

4.「AさんのやりかたもCさんの言うことも、どちらも納得できる」と答えた人の理由

この選択肢を選んだ方は、日本では51名中8名でしたが、その中でAさんのやりかたは普通、当然とする記述は3例で、所有の権利に関するものも3例ありました。数が少ないのではっきりとはわかりませんが、AさんとCさんの両方を肯定する方の場合は、Aさんについてはちょっと改まって「権利」といった大げさな概念で理由付けをするようになる可能性があります。つまり、Aさんのやり方は当たり前、と感じていれば、わざわざ権利の概念を持ち出す必要もありませんが、Cさんにも正当性があって、両者のバランスを考えなければならないときには、わざわざ「権利」といった概念を持ち出して改めてAを正当化する必要が出てくる可能性が考えられます。中国ではもともとCさんを肯定する人も多いので、その結果Aさんについては「権利」を強調する形になっている、という風にも考えられ、それなら日中で共通しているからです。

また、Cさんが述べている「自分のものと他人のものを区別しない」考え方に理解を示す記述も、日本の回答者で5例ありました。そうやってAさんの考え方を相対化してみているのだと思いますが、ただもう少し踏み込んで自由記述を見ると、日本の回答者のCさんへの理解は「心からそう感じている」というのともちょっと違うようです。次の例をご覧ください。

「Aさんからしたら、区別できるようにしないと、おもちゃがどんどんなくなってしまうのは、Bちゃんの気持ちや関係を考えると当然。ただ、Cさんからしたら玩具を貸し合っているんだから、おもちゃはグループのもの、みたいな考えがあるのではないだろうか。」(J31、A:ある程度いる、C:ほとんどいない)

やはり感覚的にはAさんの態度は当然と思えるのだけれど、Cさんの考え方も全く想像できないことではない、くらいのスタンスのようです。またJ36さんは「Cさんの言っていることも納得できるが、言い方が強すぎると思う。どちらも言い分は正しいと思うし、思ったことをすればいいと思う。」(A:あまりいない、C:ほとんどいない)と書かれていて、理屈はわかるが、Cさんの態度には納得できない、という感じになっていて、やはり感情的にはなにか抵抗感があり、すんなりとは受け入れられないもののようです。

私の印象ですが、日本の回答者のこのようなCさんに対する「肯定」は、「違う考えの人もいるだろうから、それには配慮して受け入れる」という、日本的な「譲り合い」とか「配慮」の感覚がベースにあるのではないかという気もします。Cさんの言うことに本当に納得しているわけではなく、強い違和感は感じているのです。

中国の自由記述は、ここでも所有権に関わるものが一番多いほかは、いろんな理由があって、ある意味バラエティーに富んでいるとも言えそうです。面白いものとしては「もともとAのものだから、Aのやり方は理解できる、Cのやり方はおもちゃの値段からみて理解できる」(C17、A:ある程度いる、C:あまりいない)というもので、おそらく大した値段のものではないから、融通を利かせても構わない、という感覚のようです。Cさんのやり方は中国的、という回答も1例ありました。

5.「AさんもCさんも、どちらもおかしいと思う」と答えた人の理由

これは中国では全く見られなかった答えですが、日本の回答者が「Aさんがおかしい」とした理由はとても印象的でした。つまり、そもそもAさんが他の子におもちゃを貸してあげたのがよくないのだ、という意見が5名の回答の中で4例も見られたのです。「1つのものを貸したりすることに成長や発達の糧になるものがあるのでは?」と、貸すことには理解を示したうえで、Aさんのやり方に多少違和感を覚えた人は1名のみでした。

つまり、日本の回答者がAさんを否定した理由は、Cさんのような考えに基づくのではなく、Aさんを肯定的に見ていた理由をさらに強めたような「私は私、あなたはあなた」という「自他の区別」の感覚によるものだったことがわかります。同じAに対する否定の意見でも、その理由は中国と日本ではほぼ正反対と言ってもいいでしょう。(以上 山本)

<資料:回答者の自由記述
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筆者プロフィール

Yamamoto_Toshiya.jpg

山本 登志哉(日本:心理学)

教育学博士。子どもとお金研究会代表。日本質的心理学会元理事・編集委員。法と心理学会元常任理事・編集委員長。1959年青森県生まれ。呉服屋の丁稚を経て京都大学文学部・同大学院で心理学専攻。奈良女子大学在職時に文部省長期在外研究員として北京師範大学に滞在。コミュニケーションのズレに関心。近著に「ディスコミュニケーションの心理学:ズレを生きる私たち」(高木光太郎と共編:東大出版会)


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姜英敏 Jiang Yingmin(中国:教育学)

教育学博士。北京師範大学国際比較教育研究所副研究員、副教授。1988年~1992年に北京師範大学教育学部を卒業。1992~1994年、遼寧省朝鮮族師範学校の教師を経て、北京師範大学国際と比較教育研究所で修士号、博士号を取得し、当所の講師として務め、現在は副教授として研究・教育に携わっている。在学期間中、1997年~1999年日本鳴門教育大学に留学。また2003年~2005年はポスドクとして、日本の筑波大学に留学し、研究活動を行い、さらに中央大学や早稲田大学、青山学院大学の教員と積極的に日中の学生間の交流授業を進めてきた。日本と韓国、中国を行き来して、実際の授業を観察した道徳教育の国際共同比較研究。

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