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第2回-④「第2回日中調査結果についての考察」(2)

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【読者参加型共同研究「日本、中国と韓国、何がどう違う?」】
第2回-④「第2回日中調査結果についての考察」(2)

◎【読者参加型共同研究「日本、中国と韓国、何がどう違う?」】もくじ


褒められることと和を乱すこと―山本登志哉

姜さんのするどい分析に、「抛玉引磚」となってしまったらすみません(笑)。「玉」の方は読者の皆さんにお任せすることにします。

日中で「みんなの前で繰り返し褒めるのはよくない」という同じ結論になったとしても、その結論に至る理由を見ると、随分と大きな違いがあるようだということは、いろんな意味で興味深いことだと思います。姜さんはその違いについて、「褒められすぎて傲慢になることが問題になる」という見方に中国の特徴が現れており、「褒められた子がいじめられるから」という見方に日本の特徴を感じ取られています。一見些細な違いにも見えるかもしれませんが、私にはほとんど正反対の違いというふうにも見えます。

実際なぜ褒められた子がいじめられるのか、日本の参加者からは特にその見方の「不思議さ」に言及する意見は見られませんでしたが、中国の参加者から見ると不思議な意見ということになっているようです。なぜ中国の参加者にとってはそのような発想は分かりにくいのでしょうか。

私が日本のこの理由を見て最初に思い出したのは「出る杭は打たれる」という言葉でした。いじめられる対象になる子どもは、障がいがあったり、対人関係が苦手でマイペースであったり、あるいは勉強ができて先生に気に入られる子どもであったり、いろんな意味で「目立つ」子どもであることが多いようです。ですから、先生に繰り返し褒められることは子どもにとっては危険なことで、迷惑ですらありうることになります。

では出る杭を打つ側はなぜそれを打つのでしょうか?それは「自分たちと違う」ことが「和を乱す」ことに感じられるからではないか、というのが私の見方です。

日本の人間関係の中では「お互いに気心が知れる」ということが大事なことですし、基本的なところでは「お互いにわかり合える同じ人間」だからこそ、「相手に気遣いができる」し、お互いに傷つけあわずにすみ、逆にいたわり合うことも可能になる。それは人としてとても大事なことと感じられているのではないでしょうか。

逆に自分だけが潤うことにはなんとなく罪悪感が生まれ、少なくとも自分の成功を他人に自慢することは人間として未熟なことと感じられる。それは自己主張を抑えて一緒に助け合いながら努力するという「成熟した生き方」を否定することになる、と多くの日本人には感じられるのではないかと思うのです。

そういうお互いに「同じである」ということを基本に置きながら「和を大事にする」日本的な人間関係の重要な倫理を、「出る杭」は破壊することになります。ですから、お互いの人間関係を保つということはお互いに「出る杭」にならないことだし、出る杭になりそうになったら、お互いに注意しあうことだし、それにも拘わらず出続ける場合には、仲間外れになるとか、いじめの対象になるという形で厳しい制裁の対象になるのだと思います。「これは平均化された状態の下で、平均から外れる者を排斥し、拒絶することではないのでしょうか?」と姜さんが書かれるのは、そういう意味でよく分かる気がします。

少し話を広げますが、いじめ問題を考える時、単に「いじめはよくない」と子どもに言っても簡単には解決ができないのも、あるいは「いじめはよくない」と子どもに教える教師集団の中で実際はいじめがはげしかったりすると言われるのも、日本的ないじめの背後に「日本的(日本において主流)な人間関係の作り方」の本質に関わるような力学が働いているからではないでしょうか。「みんな仲良くしましょう」と言うだけでは、単なる建前の話になってしまって、当事者が遭遇する人間関係のトラブルの調整に、現実的な解決策が見えてきにくいからではないか、という気がします。

個人主義の意味の違い

興味深いのは、そんな風に「違う」ことにいじめで「制裁」を加えるくらいに「同じ」であることを強く求められる日本の中で、同時に「個性」を大事にする考え方もまた強いことです。SMAPの「世界に一つだけの花」という人気の歌も、お互いの個性を大事にというメッセージになっています。そしてたぶん、この感覚がベースになって、中国的な発想が「個性を殺す」「画一的」なものに感じられるのではないでしょうか。

では中国の人たちは本当に個性を殺し、画一的に生きているのか、というとそれは全く実態に合わない見方になると思います。たとえば自由記述についても、中国の参加者の回答はそれぞれにかなり特徴があって、強力な個性を発揮しているように感じるものが多く見られます。中国の人と個人的に付き合ったことのある方は実感されるでしょうが、日本人から見ると多くの中国人は自己主張が強烈で、しばしば「なんてこの人はわがままなんだろう」と感じさせられるような経験もします。

姜さんはこの関係を「日本社会に存在する集団主義の特性が学校の教育環境の中に反映されていて、学校教育は個人主義的教育方法を通してこのような現象を変えようと試みていると言えないでしょうか?」と考え、中国では「中国社会に存在する個人主義的な特性が学校教育環境に現れて、学校教育は集団主義教育を通してなんらかの同一性を保とうとしているのだ、とは言えないでしょうか。」と対比させて理解しています。

言い換えれば「日本は集団主義が基調だから個人主義を強調し、中国は個人主義が基調だから逆に集団主義を強調するのだ」という見方なのでしょう。もしそうだとすれば、中国の人から見れば日本の教育は個人主義的に見え、逆に日本の人が見れば中国の教育は集団主義的に見えながら、実態はおそらくお互いにまったく逆である、という訳も理解しやすくなります。

ただし、私はこの見方にもう一つ加えてみたいことがあります。それは日本の「個性を大事に」という発想は、個人主義的な発想とは非常に異質なものではないかということです。

再びSMAPの「世界に一つだけの花」を引き合いに出してみたいのですが、そこで大事にされている「個性」は「世界に唯一のもの」であって、人と比較できないことが重視されています。それはお互いに競い合う世界ではなく、その中で自分の能力を高めていくものではなく、お互いに自分を相手に対して強烈に主張するのではなく、距離をとって大事にしようという感覚なのだろうと思います。これに対して中国で「個性的」であるということは、お互いに自己主張をしあって、競争もシビアにやって、その中で自分を磨いていくことのように私には感じられるのです。

比較文化心理学の議論の中では「集団主義VS個人主義」という比較の見方は、ほとんど常識のように使われている観があり、一般的には東洋は集団主義的で西洋は個人主義的であるという対比が行われます。けれどもそういう言い方で分類してしまうと、余りに表面的な議論になってしまい、日中間に存在する生き方や価値観の、ほとんど正反対と言ってもいいほどの違いは全く見えてこなくなってしまうと私は感じています。


今回の「褒める」という先生の行為について、自由記述では多様な意見が見られ、日中の違いをあまり単純化してステレオタイプで見るべきではなく、それぞれの社会にはそれぞれ多様な個性があることが多少は見えてきたと思います。けれども同時に、姜さんが一歩踏み込んでその多様性を成り立たせている「この問題を考える際の出発点の違い」を見出されたように、その個性はそれぞれの社会を成り立たせる独特のバランスの中で、独特の意味づけをされているように思えます。そしておそらくそのような個性は、たとえば日本のいじめについて考える際にも、かなり重要なポイントを示しているのではないかと、そんなことを考えました。


ご意見募集

読者の皆さんはこのやりとりについて、何を感じられたでしょうか。また今回の結果についてどのように読み解かれたでしょうか。みなさんのご意見をお寄せください。


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筆者プロフィール

Yamamoto_Toshiya.jpg

山本 登志哉(日本:心理学)

教育学博士。子どもとお金研究会代表。日本質的心理学会元理事・編集委員。法と心理学会元常任理事・編集委員長。1959年青森県生まれ。呉服屋の丁稚を経て京都大学文学部・同大学院で心理学専攻。奈良女子大学在職時に文部省長期在外研究員として北京師範大学に滞在。コミュニケーションのズレに関心。近著に「ディスコミュニケーションの心理学:ズレを生きる私たち」(高木光太郎と共編:東大出版会)


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姜英敏 Jiang Yingmin(中国:教育学)

教育学博士。北京師範大学国際比較教育研究所副研究員、副教授。1988年~1992年に北京師範大学教育学部を卒業。1992~1994年、遼寧省朝鮮族師範学校の教師を経て、北京師範大学国際と比較教育研究所で修士号、博士号を取得し、当所の講師として務め、現在は副教授として研究・教育に携わっている。在学期間中、1997年~1999年日本鳴門教育大学に留学。また2003年~2005年はポスドクとして、日本の筑波大学に留学し、研究活動を行い、さらに中央大学や早稲田大学、青山学院大学の教員と積極的に日中の学生間の交流授業を進めてきた。日本と韓国、中国を行き来して、実際の授業を観察した道徳教育の国際共同比較研究。

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