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第2回-③「第2回日中調査結果についての考察」(1)

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【読者参加型共同研究「日本、中国と韓国、何がどう違う?」】
第2回-③「第2回日中調査結果についての考察」(1)

◎【読者参加型共同研究「日本、中国と韓国、何がどう違う?」】もくじ


二種類の異なる集団主義?―姜英敏 (山本登志哉訳)

参加者の「自由記述」内容からみて、みなさんの考え方はとても多様で、みなさんの解釈から中日の特徴をあらわす差異を見出すのは決して簡単ではありません。まさに山本さんがいうように、質問紙調査の結果に対する統計的分析ではある程度の傾向性が現れているのに対して、自由記述は多様で、そういった傾向が見えにくくなっているように思えます。ならば、みなさんの自由記述において、一番明確な差異が出ているところから検討してみましょう。一回目と二回目の自由記述における中日の回答の違いから、私が最も強く感じたことは、「中国と日本と、一体どちらが集団主義なのか?」というものです。二つの角度からこの問題についての私の見解を書かせてください。

1.「褒めることは学校でのいじめにつながる」VS「褒めることはうぬぼれにつながる」

日本の参加者JAさんとJDさんはともに教師が褒めることに反対しています(各回答の内容は前回をご覧ください)。中国のような秩序や画一性を重視する環境のせいでそういう状況が生まれるのであり、日本の学校は全ての子どもの個性を伸ばすことに気を遣っていて、先生が一人の生徒をずっと褒め続けることはありえないと考えています。つまり、JAさんとJDさんが同じ生徒を先生が褒め続けることに反対する理由というのは「褒められない子どもが個性を失うことになる」からで、「学校でいじめられる」からではないはずです。

しかしとても興味深いことに、一回目の調査結果でも、少なからぬ日本の参加者が自由記述の中で、先生が褒めることは「いじめられ、他の生徒の反感を招く」といった結果になりうると考えています。先生が頻繁にある生徒を称賛する行為が、どうして他の生徒のいじめを生みうるのだろうか、ということは参加者CLさんなど、少なからぬ中国の読者が不思議に感じた問題です。中国の参加者CFさんは「先生が褒めることで他の生徒の嫉妬を招くのかもしれない...」という解釈をしてみています。けれどもこの解釈に、はたしてどれほどの日本の読者が同意できるでしょうか?「嫉妬」はいじめを招く原因でしょうか?

反対に、中国の参加者が先生が褒めることに反対するときの理由の一つは「褒めると生徒のうぬぼれにつながる」ことですが、あるいは日本の参加者は理解できないのではないでしょうか。どうして褒められた生徒がうぬぼれるのでしょう。前回自由記述が紹介された日本の参加者全員が、先生の行為は「よくない」と考え、ほとんどの人が「みんなの前で褒めるのはやめて欲しい」と答えています。しかしさまざまな反対理由の中に、褒めると生徒を「うぬぼれ」させてしまうことを心配する人はいませんでした。それに対して中国の参加者のCF、CQ、CLさんは「褒められて生徒がうぬぼれる」と述べているのです。では、褒められた生徒がうぬぼれないとしたら、先生が褒めることは肯定しうるものになるのでしょうか?

2.中国式の「集団主義」と日本式の「集団主義」?

先生が褒めることに反対する点では同じであっても、その理由は中国と日本で大きく異なっています。私が思うのは、両国の参加者がこの問題を考える際の出発点の違いによって、そうなるのだろうということです。日本の参加者が、先生が褒めると学校でのいじめを招いてしまうと心配するのは、「先生が同じ一人の生徒を褒めるのは、他の生徒の<気持ち>を考えないことであり、そのことで他の生徒の気持ちが傷つけられ、彼らが褒められた生徒をいじめてうっぷんをはらそうとするだろう」と考えるからだと思います。

それゆえ、日本の参加者が先生の行為を憂えることの出発点は、先生は「みんないっしょでなければならない」「みんなの気持ちを大事にしなければならない」という、バランスを壊してはならないという発想です。これは平均化された状態の下で、平均から外れる者を排斥し、拒絶することではないのでしょうか?ある見方をすれば、日本社会は顕著な「集団主義」ではないでしょうか?

ところが一方で日本の参加者JAさんはこう述べています。「クラス全体で共有すべき事と個人を分けて考えるのが重要。個人個人には頑張った度に個人に合った方法で認めてあげるのが大事と思います。」JAさんは、日本の学校では先生が生徒一人ひとりの個性を大事にする「個性教育」を重視するので、中国のような画一的な教育のやり方はないといっています。

つまりこれは日本社会に存在する集団主義の特性が学校の教育環境の中に反映されていて、学校教育は個人主義的教育方法を通してこのような現象を変えようと試みているのだと言えないでしょうか?

中国の状況は全くこれと反対です。前回自由記述が紹介された中国の参加者の中で、半数を超える5名の参加者が先生の行為を「よくない(あまりよくない4名、とてもよくない1名)」と言いましたが、褒めることに反対の理由の中に「みんなの<気持ち>を大事にするためには褒めるべきではない」、という主張はほとんど見当たりません。彼らの出発点として多いのは「この出来事自体の是非」です。例えば一人の生徒をいつも褒めると、この生徒が自分をすごいと思って進歩しなくなるので、褒められた生徒の発達にとって不利だとか、他の生徒が自分自身に照らして個性の発達を遂げるのには不利になる、といったことです。

このような、一人一人の「道理」から考えるのは中国社会で価値判断をする際の基本です。そして一人一人の利益や出発点はお互いに異なるので、「理」もまたさまざまで、そのことで社会に「個人主義」の特性が現れるのです(もしかすると日本の読者には中国が非常に集団主義的に見えるかもしれませんが、それは上述のような近代からの政治体制から生まれた表面的な現象で、中国文化の奥底にある特性ではありません)。ですから、中国の学校では集団主義的教育を通して、ある種の同一性に到達しようとする目的に向かうのです。 中国社会に存在する個人主義的な特性が学校教育環境に現れて、学校教育は集団主義教育を通してなんらかの同一性を保とうとしているのだ、とは言えないでしょうか。

中日両国の限られた参加者の回答からこういう大きな結論を導き出すことはかなり冒険です。私は単に自分の感じ方でひとつの自分の見方を述べてみたに過ぎません。このような結論の理由を考えはじめれば、三日三晩でも話し合うことができますが、紙幅の制約もありますので、ここで打ち切って、「抛磚引玉(瓦を投げて玉を引き出す:自分の未熟な意見を述べて他人の価値ある意見を引き出すこと)」つもりで、見識ある読者の皆さんのさらに多くのご意見を伺いたく思います。

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筆者プロフィール

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山本 登志哉(日本:心理学)

教育学博士。子どもとお金研究会代表。日本質的心理学会元理事・編集委員。法と心理学会元常任理事・編集委員長。1959年青森県生まれ。呉服屋の丁稚を経て京都大学文学部・同大学院で心理学専攻。奈良女子大学在職時に文部省長期在外研究員として北京師範大学に滞在。コミュニケーションのズレに関心。近著に「ディスコミュニケーションの心理学:ズレを生きる私たち」(高木光太郎と共編:東大出版会)


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姜英敏 Jiang Yingmin(中国:教育学)

教育学博士。北京師範大学国際比較教育研究所副研究員、副教授。1988年~1992年に北京師範大学教育学部を卒業。1992~1994年、遼寧省朝鮮族師範学校の教師を経て、北京師範大学国際と比較教育研究所で修士号、博士号を取得し、当所の講師として務め、現在は副教授として研究・教育に携わっている。在学期間中、1997年~1999年日本鳴門教育大学に留学。また2003年~2005年はポスドクとして、日本の筑波大学に留学し、研究活動を行い、さらに中央大学や早稲田大学、青山学院大学の教員と積極的に日中の学生間の交流授業を進めてきた。日本と韓国、中国を行き来して、実際の授業を観察した道徳教育の国際共同比較研究。

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