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第2回-②「生徒のほめ方―調査についてのまとめとコメント」

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【読者参加型共同研究「日本、中国と韓国、何がどう違う?」】
第2回-②「生徒のほめ方―調査についてのまとめとコメント」

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◎【読者参加型共同研究「日本、中国と韓国、何がどう違う?」】もくじ


先生が生徒をほめる、ということについての考え方、感覚には日中でだいぶ違いがあるようです(第2回-①)。では、この結果を見て、日本と中国の方はどんな感想をもったでしょうか。日本についてはweb上で寄せられたご意見を中心に、中国については改めて授業で大学生(前回と同じ教員養成系大学)に聞いた意見を中心に、お互いの見方の共通点や違いを探っていきたいと思います。

(1)質問への回答結果

いずれもまず第2回-①と同じ質問に答えていただいた後、前回の日中調査比較データを見ていただいて、それについて感想を書いていただきました。問題は以下のようなものでした。

中学2年生のD君は成績優秀で、友だち思いでもあります。D君の担任の先生はD君をとても高く評価していて、「他の生徒もD君を見習い、彼を目指して頑張るべきだ」と思い、ときどきクラスのみんなに対して、D君の行いをほめ称え、彼のように頑張りなさいと話をしました。

これについて三つの質問をしました。今回での調査では、日本ではweb参加者、中国では先の調査と同じ大学の異なる受講生に対して、同じ質問をした後、第2回-①でご報告したAとCのデータを見てもらい、自由記述で感想を書いてもらっています。まず、これらのデータについて簡単に結果を確認しておきましょう。(なお、前回の調査データを含めたグラフはご参考までに最後に掲載しておきます)

なお、今回の参加者の方たちの属性は以下のようになっています。

日本web参加者
<性別><年代>
9名10代0
15名20代5
30代8
40代8
50代2
60代1
中国学生
<性別><年代>
7名全員20代
12名

問い1 あなたの周囲にこのような先生はどの程度いると感じますか?

lab_08_16_01.jpg

中国のデータは前回より「沢山いる」が少なく、「ある程度いる」が多くなっていますが、中国では身近に同じような先生を比較的普通に見る人が圧倒的に多く、日本では少ないというはっきりした対比はやはり前回と同じです。

問い2 もしあなたがD君だったらどう思いますか?いちばん近いものを選んで下さい。

lab_08_16_02.jpg

これも日本ではそういうやりかたはやめて欲しいと感じる人が多く、中国では「誇り」に思うか、「うれしいけれど恥ずかしい」という回答が大多数を占めるという対比は前回と同じです。

問い3 D君をみんなの前で何度も模範的と賞賛し、見習うようにいう先生の教育の仕方について、あなたはどんな印象や意見をもちますか?

lab_08_16_03.jpg

日本では否定的評価が過半数、中国では肯定か普通とする人が過半数という対比はやはり安定して見いだされています。

以上から見れば、中国では同じ大学の学生でほぼ似た回答傾向であることは当然としても、日本のように前回の学生とは年齢構成なども違っている場合でも、回答傾向はかなり安定していることが分かります。どちらも回答はもちろん多様ですが、量的に見てそのバランス(割合)に違いがあります。

では今回の参加者は、前回調査の結果から相手の回答をどう理解し、またそこに見えてくる日中の傾向の違いについてどのように理解したのでしょうか?日本、中国の順で実際の回答例を見ながら、質的にもその特徴を考えてみましょう。

(2)日中比較データについての日本の参加者の感想
JAさん「そんな感じだろうなという感想です。生き方が多様化する中で、皆の模範とすべきものが一個人にはならなくなっているので模範生徒というものを作ることに無理があるのでしょう。模範生徒がアリというのはみんながある程度同じ方向を目指して生きている(またはそうさせたい)のかなと思いました。日本はいじめに気を使いすぎですね。私も気になりますし実際起こるのでしょうがないですが。なんとかしたいと思います。クラス全体で共有すべき事と個人を分けて考えるのが重要。個人個人には頑張った度に個人に合った方法で認めてあげるのが大事と思います。」(男、30代:回答:問1「あまりいない」問2「うれしいけど恥ずかしい」問3「良くない」)

JAさんは「日本は多様化しているので、モデル(模範)は作りにくく、中国は一つの方向に向かうように教育をしている」というイメージをもたれたのかなと思います。仮にそうだとすれば、これから中国でさらに自由化が進めば、今のスタイルが多様性を強調する日本のスタイルに変わっていく、と予想されることになるでしょうか。

JBさん「日本では、ほめられなければよいところがないと思いがちであり、中国では、ほめられなくとも潜在的によいところがあると思っているのだろうか。日本人は、自己肯定感が低い。」(女、40代:回答:問1「あまりいない」問2「やめて欲しい」問3「良くない」)

JBさんは「日本人は自己肯定感が低く、中国人は高い」という対比から、この結果を理解されているように思えます。日本では自分たちを「自虐的」と表現することがありますが、何かそこに関係してくるのでしょうか。仮にそうだとすれば、今回の結果の解釈としては、自己肯定感が低いとほめられるのがいやになり、高いとほめられることに対してより肯定的になり、それぞれの傾向はますます強まるという理解になるでしょうか。

JCさん「問い1について、日本にもこのようなほめ方をする先生が半数程度いるのは、以前はもっと多かったことを示唆しているのではないか。社会性の変化や、いじめの要因などの分析から、日本におけるこのようなほめ方のマイナス面が認識されるようになり、ほめ方が変化してきたのだと思う。中国においては、このようにほめられることを誇りに感じる面があるのであれば効果的なほめ方と言えるだろう。」(女、50代:回答:問1「ある程度いる」問2「やめて欲しい」問3「良くない」)

JCさんは「社会が変化して日本ではほめるということがいじめにつながるようになり、中国では逆に効果的」ということで、同じ「ほめる」ということでも、それが子どもたちに及ぼす影響が日中で違う、という視点をもたれているようです。仮にそうだとすれば、では日中で何が違うから「ほめる」ということの影響が正反対になるのかが興味深い問題になりそうです。

JDさん「問い2の表に関しまして、中国と日本の文化の違いがとても出ているなと感じました。私もそうですが日本人は大勢の前で自分をほめられるということは「誇り」ではなく、「恥ずかしい」「やめてほしい」という感情の方が大きいのですね。大勢の前ではなく1対1でほめられるのは「誇り」なんでしょうけど。」(女、20代:回答:問1「ほとんどいない」問2「やめて欲しい」問3「良くない」)

JDさんは中国の結果と比べることで、自分自身の感じ方が多くの日本人と共通していることを感じられたように思います。ここでもなぜ日本ではほめられると「誇り」にならないのか、中国はなるのか、ということが次の問題になるでしょうし、またJCさんが指摘されている、日本の中での時代による変化がどうなのか、ということも注目したい点になりそうです。

JEさん「違いは想定した通りだったので驚くことはなかったけれども、中国の大学生の回答を見て、好意的にこの教師の好意を受けとめている学生の中にも「ほめすぎたら傲慢になる可能性がある」といった懸念をもっている人がいるのがわかったのはおもしろかった。質問紙の作り方で印象が変わるなと改めて思いました。」(女、40代:回答:問1「ある程度いる」問2「やめて欲しい」問3「良くない」)

JEさんは中国の学生の中に、ご自分が予想したパターンとは違って(おそらく)日本的な視点に近い見方をしている学生がいると感じて興味をもたれたようです。私たちもお互いの社会の中の多様性を具体的に知ることは大事だと考えています。違いと共通性をバランスよく見ていくことは、これからも課題になりそうです。

JFさん「質問の回答において、日本の学生はほめられる生徒個人の立場に、中国の学生は指導者の立場にたっている傾向があると感じた。」(女、20代:回答:問1「ほとんどいない」問2「やめてほしい」問3「良くない」)

JFさんは「日中の回答者の視点」に注目してその違いを見いだされています。回答者はどちらも教員養成系大学で、「先生になることも考えている」学生ですから、生徒に視点を置くか、先生に視点を置くかは、教育を考えるときのスタンスの違いを表しているのかもしれません。ここは他の問題にもつながる興味深いポイントかもしれません。

JGさん「私は日本人で、調査の結果にはおおむね納得がいきますが、自由記述を見て、日本の「平等意識」「同調意識」のようなものの強固さに、少なからずゾッとする部分がありました。全部が全部、そうではないけれども、日本の回答の傾向は「まわりがどう感じるか」、中国の傾向は「D君にとってどんな影響があるか」、という視点で語られているような印象をうけ、興味深いです。」(女、20代:回答:問1「あまりいない」問2「うれしいけど恥ずかしい」問3「とても良くない」)

JGさんも「日中の回答者の視点」に注目されていますが、JGさんの場合は「日本では周囲を気にし、中国ではD君自身のことを考える」という対比をされています。JFさんとは一見違う見方にも思えますが、「周囲を気にする」のはD君自身のことで、「D君のことを考える」のは先生だという風に見れば、JFさんとつながる議論になりそうです。

JHさん「バンデューラの理論を効果的に使うには他の生徒がD君に憧れたり、尊敬の意識をもつ必要がある。これはDをほめるのでなく、Dのしている行動自体の価値を他の生徒たち自身が高いものであると認識することがよい。つまり方法自体をほめる、ことが大切であると感じる。」(男、20代:回答:問1「あまりいない」問2「やめてほしい」問3「良くない」)

JHさんは日中の比較と言うより、バンデューラ(Albert Bandura,1925-)の社会的学習理論(人がほめられたり怒られたりするのを見て自分の行動が変化するタイプの学習)を使って、一般的に教育をどうすべきかを考えられているようです。ある価値的な考え方に文化差を越えた普遍性を見いだせるかどうかは常に問題になり続けそうです。


以上、寄せられたご意見を一つずつ見てきました。ご意見をお書き下さった方が、質問に示されたような先生のやり方について、否定的な回答(良くない~とても良くない)を寄せられた方ばかりだったのはちょっと印象的です。中国の回答パターンに、より強く違和感を感じられた方の方が、「どうしてそういう違いが出るのか」ということについて、積極的に考えてみたいと感じられたのかもしれません。

また、そのように評価が「否定的」というところでは「日本的」でかなり揃っていても、日中の違いをどう考えるか、という点では、視点は随分多様に思える点も興味深いところでしょう。では次に中国の自由記述を見てみます。(自由記述は回答が多かったので、同種の意見と思えるものはいくつか省略しました)

(3)日中比較データについての中国の参加者の感想
CAさん「問2:中国ではたとえば父母が皆『スタートラインで負けてはならない』と望むように、小さいときから『競争』の概念を注ぎ込まれるため、中国の子どもは小さい内から競争意識が旺盛で、自ずとほめられたときに誇りを感じる子が多い。日本では子どもは『集団』の概念を教育されることが多く、そのような集団主義はグループを離れることを恥と感じさせ、それで先生から一人でほめられると、拒否的な心理状態になるものが多い。」(男:回答:問1「ある程度いる」問2「どうとも思わない」問3「普通」)

CAさんは日中の結果の違いを「中国は個人間の競争が重視され、日本は集団主義で他の人との差を嫌う」という育児・教育の結果として見ています。比較文化心理学では日本も中国も同じ「集団主義の国」として考えられることが多いですし、日本では中国が集団主義で日本は個人が尊重される社会と考える人が多いように思いますが、そのいずれの見方とも異なっていて興味深く思えます。

CCさん「問1について:これは先生が他の生徒を励ますときに使う、とてもよく見られる方法で、他の生徒もみんなD君から学ぶように望む。儒教の『見賢思斉(賢人を見て自分も同じようになりたいと思う)』思想の影響。けれどもこのような先生は『人に合わせて教える(因材施教)』ということを忘れており、他の生徒の個性を殺してしまい、個性の発達に不利益をもたらす。問3について:先生はただ一人を取り上げて全員の模範にすべきではなく、さまざまな生徒に輝くところを見いだしてほめるべきであり、そうすることで初めて先生のえこひいきや不公平さを感じることがなくなるし、その長所をほめると同時に不足するところも指摘すれば、生徒がそれを正す励みになる。」(女:回答:問1「沢山いる」問2「誇りに思う」問3「優秀」)

CCさんは子どもに合わせて教えることを重視していますが、ただし日本の傾向とは違い、ほめること自体については肯定的で、ほめ方を問題にしています。問題への回答も肯定的なものばかりになっています。

CEさん「『問3の自由記述』について、日本の学生の考え方はとてもいい。生徒をモデルとすると、その生徒に目を集めさせ、目立たせるようなもので、生徒に多くのマイナスの影響をもたらす。」(男:回答:問1「沢山いる」問2「やめて欲しい」問3「とても良くない」)

CEさんは中国によくあるやりかたに反発を感じ、そのやり方は生徒を目立たせてマイナスの影響を与えると、日本的な考え方に共感されています。

CFさん「問2について:私もこのようなやり方はクラスメートの嫉妬を招き、自分とクラスメートの間の友情をこわしてしまうかもしれないと考えたことがある。そして、このように何度もほめられれば、自分を本当に優秀だと思って怠けてしまうかもしれない。」(女:回答:問1「沢山いる」問2「誇りに思う」問3「普通」)

CFさんは日本でよく見られた見方を「嫉妬」という点で理解して、そういう見方を自分自身したことがある、と言われていますが、この先生のやり方については肯定的な評価であるようです。日本の「いじめ」の問題を「嫉妬」という観点でどこまで理解できるかは議論してみる意味がありそうです。

CHさん「中日両国の大学生の回答から、両国の教育方式と教育目標の違いが見て取れ、教育方式について言えば、中国はモデル教育と受験教育が重視されていて、中国の教師はすべての学生を標準に合ったよい生徒に育てることを望み、生徒の違いや独自性を育てることを軽視している。それに対して日本の先生は『人に応じて教育する』ことを重視し、子どもたちにより大きな空間を与えてそれぞれの夢や標準化されていない目標を追求させている。教育の目標から言えば、中国の先生は生徒を勉強の出来る人に育てることを重視し、日本は生徒に自己の価値を実現させることを重視している。」(女:回答:問1「沢山いる」問2「誇りに思う」問3「あまり良くない」)

CHさんは日中の違いを、良いモデルを提示し「すべての学生を標準に合った良い生徒に育てる」(中国)のか、「それぞれの夢や標準化されていない目標を追求させている」(日本)のか、という対比で理解されようとしています。これを中国は集団主義的、日本は個人主義的と表現することもできると思いますが、CAさんが中国は個人間の競争重視という意味で個人主義的で日本は集団主義的と性格づけられたのとは一見正反対にも見えます。この矛盾して見える捉え方が生まれるのは何故なのかは興味深い問題でしょう。

CJさん「問3について:私は日本文化では生徒に個人間の一種の平等思想を与えられると思う。個人間には違いがあるが、教師としてはそれらの個人差を放置して大きくすべきではなく、さもなければ個人間の不平等が生まれ、優秀な生徒を他の生徒から孤立させる。しかし中国の教育理念はモデル教育、模範教育を唱道しており、そうやってある程度競争意識を刺激することが出来るが、個人が教育を受けるに当たって公平に扱われることを軽視することにもなる。」(男:回答:問1「沢山いる」問2「うれしいけど恥ずかしい」問3「優秀」)

CJさんは中国的にひとつのモデルを強調することは、個人間の競争を活発にさせることで、日本的に個性を強調することは、逆に競争を抑圧して「平等」を追求することになる、という見方を提示されています。CAさんの「集団主義の日本VS個人主義の中国」的見方とCHさんの「個人主義の日本VS集団主義の中国」的見方という、一見すると矛盾するように見える二つの見え方について、統一的に説明するひとつの面白い方法かもしれません。

CKさん「問題3について:まず先生についてどうして異なる反応が出るのかを論ずると、日本の先生は非常に尊敬される職業で、先生に求められる能力が相対的に高く、その素養や学識識見は全体的に高く、中国とは異なる。中国では、多くの地方の学校では先生自身が多様な世界をみたことがなく、さほど教養もないので、大きな器量と見識で多元的人生観や価値観を包容できず、ただ『しっかり勉強しないとお金を稼げない』と言う。まるで勉強ができれば人格もよくなると思っているようだ。私がこういうことを言うのは、私自身の経験からである。私は中学(注:日本で言う中高一貫校)の時に無錫市の有名進学校で学び、クラスメートはみな成績が良かったが、私は学校に行くのが嫌で、試験はいつもビリのほうだった。すると先生は私が昼寝をしなかったり(注:中国では、午後の授業の効率のために昼寝をしなくてはならない)、テストの間違い直しをしなかったりするたびに私を叱り、私の品徳に問題があるとか、試験では全クラスの名誉を傷つけたなどと言った。私は一度ふさぎ込んだが、その後私が進んだのは美術系の大学入試で、そんなに長い間まともに高校にも行かなかった人間が、その試験で中国人民大学や北京師範大学に挑戦して、そしてお定まりのコースで大学入試を受けた学生となんの違いもなく受かった。一人の人間にとって最も重要なことは、人文教養が優れ、心が強く、社会を愛し、信仰や道徳をもつことであり、高校で学ぶようなことが出来るかどうかは成功者になるかどうかに全く影響しないと思う。」(女:回答:問1「沢山いる」問2「うれしいけど恥ずかしい」問3「あまり良くない」)

CKさんは日本と比較して中国の(特に地方の)先生が多様な価値観を認められずに「勉強して金持ちに」という単純な見方しかしないと言います。その考え方に乗れず、先生に批判され続けたCKさんは、自分の体験から成功者になる条件は、人文教養や心の強さなど、別の個人的素養だと考えています。回答の傾向を見ると一見CKさんは日本的とも見えますが、日本では「他者との調和・同調」など、他者がしばしば強調されるのに対し、CKさんは「個人の能力」という、自分自身を強調されている点でやはり中国的という見方もありそうです。

CLさん「私の見方は全く『中国化』されたものだと気づいた。私は先生がいつもDをほめることには一定のモデル作用が有ると思っていたが、常にほめられるわけではないし、もしDが本当に先生も生徒も共に認める優秀な生徒なら、生徒たちは自然にそれに向かって自主的に学びうるだろうし、先生から強要される必要など無い。それにこんなふうにするのは、生徒の個性を失わせることにも成りうるし、そうやって育った人はみな同じ型にはまったようになってなんら新鮮味がない。しかし私は先生がDをほめることには良くない影響力もあると思うが、それでもDが排除されるとか虐められるとか、それほどまでひどくはならないと思う。これほど多くの日本の学生が、Dがそれによって仲間はずれにされたり虐められたりさえすると言うのが何故か、私には分からない。私が思うには、優等生はせいぜいが『孤高のさびしさ』を味わう形で、他のクラスメートは『他人の家の子ども』を見るように『高嶺の花』と感じるだけで、仲間はずれにしたり、虐めたりはあり得ない。少なくとも優等生は中国のクラス集団の中では今も『地位』をもっている。」(女:回答:問1「沢山いる」問2「うれしいけど恥ずかしい」問3「あまり良くない」)

CLさんは日本の結果を見て自分の考え方が中国的であったこと、そしてその問題点に気づいたとされていますが、「先生にほめられる」=「いじめられる」という日本の考え方は謎だと感じています。日本の回答者はそれが当たり前と考えているようにも見えましたが、果たしてこの疑問にどう答えるでしょうか。

CQさん「私は中国の文化に於いて『モデル』はとても重要な概念だと思いますし、私の印象では中国の先生は確かに常にそうします。モデルを打ち立てることでみんなを励ます効果を得るのです。そして私たちは小さい頃から『ほめられることは光栄だ』という考えを植え付けられますし、それで中国の生徒もそれにとても喜ぶのです。少数の人は良くないと考え、それはDを傲慢にするという可能性を重視しています。私たちの考えの中に『ほめられることは傲慢を生みやすく、傲慢は人をだめにする』というものがあるからです。これに対して日本の生徒(先生)は一人ひとりの気持ちや感覚がどうであるかに、より注目します。彼らがこういうやり方を支持しないのは、それが人に『不愉快な感覚』を与えることが主な原因です。」(女:回答:問1「沢山いる」問2「やめてほしい」問3「あまり良くない」)

CQさんは中国では先生がモデルでみんなを励まし、ほめられることを光栄に感じさせる教育をするのに対して、日本では生徒の気持ちを重視し、中国的やり方は不愉快な感覚をもたらすのでしないと考えています。またJEさんが注目した「ほめられると傲慢になる」という考え方については中国では一般的にみんながもっているものとされていて、そうだとするとJEさんは自分の中国イメージとは違って興味をもたれたのですが、実はそれはJEさんが気づかなかった中国のもう一つの側面なのかもしれません。なぜそういう見方のズレが起こるかは興味深いです。

(4)次回の議論に向けて

日中の参加者の自由記述について、一人ひとり見てきました。質問への回答は日中を比較すると比較的安定したそれぞれの傾向が見られました。それに比べて自由記述でみなさんが注目するポイントは日中共にかなり多様であるようです。そのような多様な見方の中に、それでもやはり「日本的な多様性」とか「中国的な多様性」といった「多様性のあり方の文化差」があるかどうかは興味深い問題でしょう。

たとえば日本のJGさんや中国のCKさんのように、それぞれの社会でメインストリームになっていると思われるやり方について、違和感や反発を感じられている方もありますが、ではJGさんは中国的で、CKさんは日本的なのか、ということは考えてみると面白そうに思います。ほめることがいじめにつながるという日本の回答者に多かった感覚も、興味深い点のひとつかも知れません。

次回はこれらの結果について、一体お互いの違いは何なのか、相手の見方をどこまで理解可能か、といった問題について姜と山本が少し意見を交換してみたいと思います。みなさんもいろいろ感じられたことがあればまたご投稿下さい。それも踏まえて議論が出来ればと思います。

付録:前回調査を含めた比較

問い1 あなたの周囲にこのような先生はどの程度いると感じますか?

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問い2 もしあなたがD君だったらどう思いますか?いちばん近いものを選んで下さい。

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問い3 D君をみんなの前で何度も模範的と賞賛し、見習うようにいう先生の教育の仕方について、あなたはどんな印象や意見をもちますか?

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筆者プロフィール

Yamamoto_Toshiya.jpg

山本 登志哉(日本:心理学)

教育学博士。子どもとお金研究会代表。日本質的心理学会元理事・編集委員。法と心理学会元常任理事・編集委員長。1959年青森県生まれ。呉服屋の丁稚を経て京都大学文学部・同大学院で心理学専攻。奈良女子大学在職時に文部省長期在外研究員として北京師範大学に滞在。コミュニケーションのズレに関心。近著に「ディスコミュニケーションの心理学:ズレを生きる私たち」(高木光太郎と共編:東大出版会)

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姜英敏 Jiang Yingmin(中国:教育学)

教育学博士。北京師範大学国際比較教育研究所副研究員、副教授。1988年~1992年に北京師範大学教育学部を卒業。1992~1994年、遼寧省朝鮮族師範学校の教師を経て、北京師範大学国際と比較教育研究所で修士号、博士号を取得し、当所の講師として務め、現在は副教授として研究・教育に携わっている。在学期間中、1997年~1999年日本鳴門教育大学に留学。また2003年~2005年はポスドクとして、日本の筑波大学に留学し、研究活動を行い、さらに中央大学や早稲田大学、青山学院大学の教員と積極的に日中の学生間の交流授業を進めてきた。日本と韓国、中国を行き来して、実際の授業を観察した道徳教育の国際共同比較研究。

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