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第1回-⑤「第1回日中韓調査結果についての考察」(3)

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【読者参加型共同研究「日本、中国と韓国、何がどう違う?」】
第1回-⑤「第1回日中韓調査結果についての考察」(3)

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◎【読者参加型共同研究「日本、中国と韓国、何がどう違う?」】もくじ


姜さんの議論から考えたこと-山本登志哉

(1)姜さんと私の「共有関係」

私と姜さんは、実は私がまだ「若手研究者」だった頃の、姜さんが「うら若き」大学院生時代からのおつきあいで、それ以来、いろんな議論もしました。また共同研究に参加していただいたり、共同で論文を書いたり(山本・高木編2011年:「ディスコミュニケーションの心理学―ズレを生きる私たち」の第一章「ズレの展開としての文化間対話」、東京大学出版会)、日中共同授業を展開したりしてきました。それで「お互いの手の内をよく知っている」感じもあって、今回の姜さんの議論の骨子も、これまでいろいろに論じ合ってきたことにつながります。また私自身、中国に10ヶ月間文科省派遣の研究員として滞在した体験もありますし、その後も今までずっと日中をつなぐ研究や異文化間理解の教育実践などをやってきました。ですから、姜さんとは多くの視点が共有されていますし、その議論には私もそうだよなあ、と素直に思えるものが多いのです。

とはいえ、「はい、そうですね」では面白くないので、少し新しい視点も加えて今回の結果を考えてみたいと思います。

「共有」ということについては、姜さんとのエピソードでこんなことがあったことを思い出しました。ある時、北京に一週間くらい滞在する用事があって、それで姜さんにどこか安い宿を紹介してくれないかと電話で頼んだときのことです。姜さんはその場で即座に「親戚が今、自分のアパートとは別の所で暮らしていて、アパートを使っていないから、そこを使ったら?」と言ってくれたのです。中国ではいろんな「共有」関係はさんざん経験してきましたけれど、この提案には感動する一方で、正直ちょっとびっくりしました。

びっくりした理由の一つ目は、親戚の持ち物である(正確には使用権を持っている)家について、一切親戚に問い合わせることなく、その場で私に「使ったらどう?」と提案してくれたことです。それまでにも、自分が借りているわけでもない友だちの本を、その友だちが出かけているときに別の友だちに勝手に貸してしまうようなできごとは、私も中国で何度か経験していましたけれど(つまり友だちの本は一種の共有物のようになっている)、さすがに「家」ともなると驚きです。しかも私のような「外国人」を勝手に(?)住まわせるという提案なわけですから、ますます驚きでした。

びっくりした理由の二つ目は、私に対する援助のレベルの深さでした。自分のプライベートな領域、しかも親戚を巻きこんで成立しているプライベートな領域を、こんな風に提供してくれるというのは、日本ではまず経験することが稀でしょう。全くあり得ないとは言えないけれど、きっと相当特殊な関係で特殊な条件の場合だろう、と感じてしまいます。

でも、中国では本当にいい友だちとして、そういう援助が当たり前のように行われるんですね。日本では一時期、中国の人に部屋を貸すとどんどん勝手に友だちなどを同居させてしまってトラブルになることがありましたが、それもこの延長に考えれば、中国的には「当たり前」のことになります。また「困っている知り合いを助ける」ことについては、たとえば阪神淡路大震災の時、私の知り合いの中国の人は、自分が知っている中国人被災者家族を何組か早速自分のマンションに呼び寄せて一緒に暮らしていました。そういった友人間の深い相互扶助のエピソードには事欠きません。


(2)「広く薄く公的に」VS「狭く厚く人間関係で」

そういうことを考えると、確かに日本の付き合い方が「冷たい」と感じられるのは、私にも分かる気がします。中国的互助関係に少し染まった私が、その半分にも満たない程度の援助を日本で他の人にすると、「山本さんはなんて親切な人なんだ」と感激されることもあったりするほどですから。大震災のような極限状況の時でさえ、多くの被災者が親戚の家にさえ頼ることをしなかったようですし、また親戚の方でも、本気で呼び寄せようとする家はそう多くなかったのではないかと想像するのですが、そこも全く違います(中国からの残留孤児の方たちの日本への帰国の際にも、この問題がかなりシビアに浮き彫りになりました)。

このことは歴史的に見たり、経済力の問題として見たり、社会文化的なシステムの違いとして見たり、大きな視点からのいろんな説明の仕方があると思いますが、ここではあまりそういう説明に頼らずに、とりあえず一人ひとりの考え方、感覚の持ち方の違いとして、あえて個人のレベルで見ていく方が面白いでしょうね。今回の調査結果にも、姜さんも論じられている「迷惑」を巡る感覚の違いなどとして、そのことが素朴に現れているように思いました。

ただし、ここでもう少し考えてみたいのは、では日本では「相互扶助」はないとか薄いとかいうだけのことなのかと言うことです。結論から言えば、それは違いますよね。たとえば医療保険や介護制度、年金など「公的な扶助」の仕組みは、日本は中国などに比べればはるかに充実しているでしょう。また中国の人が日本に来て感動することとしてしばしば耳にしたのは、ひとつは街がとても清潔であること、それから多くの人が親切だということですが、これも一種の「扶助」の問題です。職場でも、日本では本来自分の職分ではない同僚の仕事を手伝ってあげることは特に変なことではないでしょうが、中国ではたとえ同僚がどれほど大変な状態であろうと、自分の職分を離れたことには手出しをしない、ということが普通だと聞きましたし、実際私もそれに類する体験を何度か中国でしました。(ただしこの辺の仕事上の助け合いについて、特にサービス業の接客場面では、今はまただいぶ変わっている可能性もありますね)。

つまりここで言いたいことは、ひとつには確かに「相互扶助」の深さ、ということを考えると、姜さんが指摘するような違いはあると私も感じます。ただし、どういう場で「相互扶助」が発揮されるのか、ということの違いもまた大きいだろうということです。ですから日本では当たり前に手助けするだろうところを、中国では放っておかれたり、ということもあるわけです。著しくは大怪我をして救急車で病院に運ばれた人に、入院費があるのかを聞いて、なければ受け入れられなかったという中国での報道を見たことがあります。もちろんそういう報道はそのような出来事を批判的に報じているわけですが、いずれにせよ日本ではイメージしにくい事例です。実際、生活保護を受ける低所得者も、公的な費用で最低限の医療は等しく受けられる体制があります。そういう違いもまた、単に「社会制度の違い」として説明して済ませてしまうのではなくて、「どういう助け合いの関係を求めようとするか」の感覚の違いからも考えてみる必要を感じます。

まとめると、漠然とした印象での表現ですが、日本は「広く薄く」互助関係を作る傾向があり、そこでは親戚関係や友だち関係といった「個別の人間関係」はあまり強く働かず、むしろ「公的な扶助」に期待して個々の人間関係が淡泊な感じがするのに対して、中国では逆に「個別の人間関係」こそが重要で「狭く厚く」互助関係を作り、それを重ね、広げていこうとする傾向を感じます。そういう視点から見ると、たとえば姜さんが取り上げられた「両親や学校の先生に相談するのが先」(①)というご意見についても、特に学校の先生に相談というところなど、個人間の扶助ではなく「公的な扶助」とか制度的な扶助を優先して考えようとする日本的相互扶助感覚が働いているようにも思えます。


(3)社会人になったときの変化の仕方の違い

それからもう一つ、今回のデータでちょっと興味深かったのは、大学生のデータとネット上の参加者(年齢的に見ても社会人が中心でしょう)の間の違いです。調査の仕方の性質上、あまり決定的なことは言えませんけれど、大学生よりも「厳しい社会の現実を知っている」と思われるネット参加者の回答で、中国では「友だちに借りることはしない」と答える人がかなり多くなり、日本では「友だちに貸すことはしない」が増える、という傾向が見られ、変化のポイント、社会的経済的立場による変化の仕方が日中で異なるかもしれないということが見えてきました。

(書きたいことはいくらでも出てきますが、今回はとりあえずこの辺で)

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筆者プロフィール

Yamamoto_Toshiya.jpg

山本 登志哉(日本:心理学)

教育学博士。子どもとお金研究会代表。日本質的心理学会元理事・編集委員。法と心理学会元常任理事・編集委員長。1959年青森県生まれ。呉服屋の丁稚を経て京都大学文学部・同大学院で心理学専攻。奈良女子大学在職時に文部省長期在外研究員として北京師範大学に滞在。コミュニケーションのズレに関心。近著に「ディスコミュニケーションの心理学:ズレを生きる私たち」(高木光太郎と共編:東大出版会)


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姜英敏 Jiang Yingmin(中国:教育学)

教育学博士。北京師範大学国際比較教育研究所副研究員、副教授。1988年~1992年に北京師範大学教育学部を卒業。1992~1994年、遼寧省朝鮮族師範学校の教師を経て、北京師範大学国際と比較教育研究所で修士号、博士号を取得し、当所の講師として務め、現在は副教授として研究・教育に携わっている。在学期間中、1997年~1999年日本鳴門教育大学に留学。また2003年~2005年はポスドクとして、日本の筑波大学に留学し、研究活動を行い、さらに中央大学や早稲田大学、青山学院大学の教員と積極的に日中の学生間の交流授業を進めてきた。日本と韓国、中国を行き来して、実際の授業を観察した道徳教育の国際共同比較研究。

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