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【脳と教育】第4回 既存知識が記憶に及ぼす影響について:教育への示唆

榊原 洋一(CRN所長、お茶の水女子大学名誉教授、
ベネッセ教育総合研究所常任顧問)

2017年5月19日掲載

今回は、Mind, Brain and Education誌10号3巻に掲載されている論文"Effects of Prior Knowledge on Memory: Implications for Education"(Yee Lee Shing and Gravin Brod. 10(3):153-161, 2016)を紹介する。

この論文は、既存知識(prior knowledge)が記憶に及ぼす影響と、その教育への意味について述べたレビュー論文である。私たちが、学習し記憶する時に、すでにもっている様々な知識が学習というプロセスに影響を与える、ということは誰でも理解できる事実である。例えば、エジプトの歴史について学習する時に、エジプトの地勢についての知識(アフリカ大陸にあり、地中海に面している。またナイル川河口にある等々)があれば、なぜギリシャの歴史と深い関連をもっているか理解が容易になる。

本論文は、既存知識研究に関するこれまでの発達心理学と脳科学の成果をまとめた上で、教育実践におけるその意味付けについて述べたものである。

まず、既存知識について、従来の発達心理学の研究を紹介している。発達心理学の巨人とも言うべきピアジェの論文を読むと、最初にシェーマ(Schema)という基本概念が登場する。日本語に適切な訳語がないためか、ピアジェの翻訳書ではそのまま「シェーマ」と訳出されており、素人である本稿の筆者(榊原)は、そこで理解が止まってしまった苦い記憶がある。この論文では、本当に簡潔にシェーマは既存知識(体系)とほぼ同等である、という定義を述べている。その上でシェーマには4つの特徴があるとしている。①ユニットとその間を結ぶネットワークによって形成されている。②複数のエピソードによって形成される。③ユニットの詳細な内容は存在しない。④適応性がある。

こうした説明を読むと、多くの本稿の読者は、これ以上読み進めることをあきらめてしまうかもしれないが、もうすこし辛抱しておつきあい願いたい。

適応性を筆者はさらに、調節(accommodation)と同化(assimilation)に分けて説明を進めている。「調節」とは、新たな知識が既存の知識と矛盾する時に、既存知識(シェーマ)を改新する過程である。一方「同化」は新しい知識を既存知識に組み込むことをさしている。

こうした既存知識についての概念を整理した後、筆者は、既存知識が記憶という過程に与える影響についての説明に筆を進めている。これについては2つの基本的法則があるという。

最初の法則は、既存知識は新しい知識が組み込まれる構造を提供するという形で、新規知識の学習を促進する、ということである。既存知識は新しい情報を「選択」「抽象化」「解釈」「統合」「再構築」して組み入れる過程を促進する。最初の4つは新しい情報の登録(encoding)に、最後の1つは記憶を引き出すこと(retrieving)に関与する。

第2の基本法則は、既存知識は上記の記憶過程を促進するために「活性化」される必要があるということである。このことから、単に新しい情報を得ただけでは、新規の情報が既存知識に組み込まれる事にはならないのである。

こうした2つの基本法則を述べた後に筆者は、既存知識が学習過程に及ぼす影響の発達的変化について、主に心理学的、脳科学的研究結果をもとに説明を加える。

心理学的研究では、幼少の子どもは、新規の情報に接した時に、既存知識をうまく使えないことが、複数の研究者によって示されている。例えばElischbergerは、子どもを対象とした研究で、子どもに聞かせた物語の中で語られる科学的な知識は、子どもの学習過程において「その知識と相容れない誤り」を減少させるが、「その知識と整合性のある誤り」は逆に増加させると報告している。本稿の筆者(榊原)の理解でいうと以下のようになる。

まず子どもたちに、「魚はえらで呼吸している」という知識が前もって与えられている。その後で、「虫はえらで呼吸をしているか?」という問題をだすと正解できても、「(魚と同じく水の中に住む)イルカはどうやって息をしているのか」と聞くと「えらで息をしている」という誤った理解につながるのである。

筆者はさらに、こうした子どもの既存知識の引き出し(retrieval)の不得手さの理由として、内側前頭前野(medial prefrontal cortex)の機能がまだ十分に発達していないことを、複数の脳科学的実験結果から述べている。

最後に(そして最も重要な)教育実践における意味付けが述べられる。睡眠の重要性(本稿では省略)を含めて、いくつかの重要な提言がなされている。

まず、小さな子ども(小学生)では、既存知識の適切な引き出し(retrieval)がうまくできないので、新しい知識を与える前に、既存知識の活性化を誘発(induce)してあげることが必要であるという。もちろん誘発するのは子ども本人ではなく、教師や親が行うということが言外に込められている。

しかし、年長の中高生や大学生では、様相が変わってくる。中高生は、新しい知識を得る際、構造化された学習環境で既存知識を活性化させた場合に学習が促進されるが、大学生はむしろ、学習素材を自分で構築する必要がある状況下で既存知識を活性化させた方が、学習が促進されるという。

つまり、学習者の発達段階によって、既存知識を活性化させるために必要なサポートの度合いは異なり、学習者が若いほど具体的なサポートが必要だということである。


ここまで本論文を読んで、その内容が近年教育の実践において、学習方法として大きな関心をもたれている「反転学習」や「アクティブラーニング」と深く関連しているのではないか、という感想をもったが、読者の皆さんはどうだろうか?

筆者プロフィール

report_sakakihara_youichi.jpg榊原 洋一 (さかきはら・よういち)

医学博士。CRN所長。お茶の水女子大学名誉教授。ベネッセ教育総合研究所常任顧問。日本子ども学会理事長。専門は小児神経学、発達神経学特に注意欠陥多動性障害、アスペルガー症候群などの発達障害の臨床と脳科学。趣味は登山、音楽鑑賞、二男一女の父。

主な著書:「オムツをしたサル」(講談社)、「集中できない子どもたち」(小学館)、「多動性障害児」(講談社+α新書)、「アスペルガー症候群と学習障害」(講談社+α新書)、「ADHDの医学」(学研)、「はじめての育児百科」(小学館)、「Dr.サカキハラのADHDの医学」(学研)、「子どもの脳の発達 臨界期・敏感期」(講談社+α新書)など。
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