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【被災地レポート】第5回 被災者に寄り添う本当の支援とは

要旨:

日本プライマリ・ケア連合学会東日本大震災支援プロジェクト(PCAT)の産婦支援プロジェクト(東北すくすくプロジェクト)では、震災直後から見落とされがちな産後のお母さんや子どもたちのケアを中心に活動してきました。長いこと「女性の生殖にかかわる事柄(月経、妊娠、出産など)は病気ではない」と不調を訴えることなく我慢してきた女性たち。彼女たちが出産して子どもを持ったときに心身の相談に乗れる受け皿がなければ喜びや誇りに満ちているはずの子育てが孤独に満ちた辛いものに変わってしまいます。普通の体調不良や、小さな健康トラブルの相談に乗ってくれる町医者の重要性、そして、支援者が被災者と信頼関係を結ぶコツについて「支援学」を学び、それを実践に生かした筆者の実体験に基づくレポートです。
English
被災者も、普通の生活をしている、普通の人

被災地で妊産婦さんたちと接する中で、支援したい気持ちをいっぱい抱えて被災地に来る医療従事者やマスコミの流す情報に戸惑う姿が見られました。もちろん、すべてを失った被災地の方々は、どんな援助でもウェルカムです。しかし、彼らは、非常に凄惨でドラマティックでまるで映画の中の出来事のような状況で苦しむ悲劇の被災者ではなく、普通の生活をする普通の人なのだということを、私は災害当初から感じていました。前回のトリアージタッグの「黒か緑か」の津波災害の後、生き残った方々は基本的に元気な普通の方々です。元気、と言っても健康かというとそうではなく、大きな怪我や高度な治療を必要とする重篤な状態ではないけれど、気になることがあれこれある、という、本当に普通のかかりつけ医、何でも相談できる町のお医者さんが必要な状況でした。

特に、赤ちゃんや小さなお子さんがいる方は深刻です。子どもがうるさい、赤ちゃんの夜泣きで眠れないという周りからの苦情を受け、自宅が半壊状態でも住める人は、長期にわたる避難所生活に耐え切れずに自宅へ戻ります。するとそれまでもらえていた援助物資や炊き出しの食事がもらえず、震災前までのママ友や地域のネットワークも失われ、孤独を感じ、ふさぎこんでしまいます。テレビに映る被災者の姿と自分の姿を重ね合わせ、「ああいう方に比べれば私なんてまだまし」と思う一方で、被災地以外の人が抱いている被災者へのイメージに押しつぶされそうになり、心の中では「自分は普通の人なんだ」と悲鳴をあげているのです。

今、被災地のお母さんたちにはいろいろな人に会うことへのためらいがあります。いろいろな形で支援してくださるのは、とてもありがたい、と思いつつ、いろいろな人が心配して会いに来てくれると、その都度、被災したときの話をしなければならないかと思うと、 人に会うのが嫌になってしまうことがあるそうです。親族、友人、知人だけでなく、他県の保健師さんや行政の方など、毎回違う人が来るため、「何度、繰り返して同じ話をしなければならないの??自分が話したい人と、自分の気が向いた時にだけ、話したい」「相手を満足させるような悲惨で過激な体験談を何度も話したくない」と気疲れを感じ、誰とも会おうとしなくなった方もいました。人々の善意がわかっているからなおさら断れないのです。

大地震の発生が午後2時46分だったことも、震災後の生活が人々の普通の生活の延長線上にあるということにつながりました。電動ベッドの背を起こして食後の休憩を取っていたお年寄りも、お買い物をしていた妊婦さんも、登下校途中の子どもたちも、その時点で時が止まり、電気や水道が止まり、しかし、生き残った人々は普通の生活を続けていかなければいけないのです。

今は災害医療ではなく、普通の医療が求められる時

「急を要することではないから」と言って、湿疹や腰痛をがまんしている妊婦さんがいます。急性期医療を提供したくてやってくる医師たちにこんなつまらないことは相談できないと、震災で取りやめになった手術や治療を先延ばしにしている人がいます。喘息や便秘になっても言いだせない人がいます。 子どもが転んで手を切った、咳をして苦しそう、でも、いつもなら気軽にすっと立ち寄れた地元の小児科医院が流されてしまった。避難所に医者はたくさんいるけれども、こんなことで相談できない、あの人たちはもっと大変な重病人のために来てくださっているのだから・・・。と遠慮してしまう人がいます。

こういう人たちのために、「町医者」のような役割の医師が求められています。また、「もう慢性期なんですよ」「普通の生活に戻っていいんですよ」「ちょっとした気になることで相談してもいいんですよ」と言ってあげることが大事なのかもしれません。普通の日常で起こる痛みや傷も、その治し方も、特にドラマティックで大騒ぎされるようなものではなく、静かな普通のものなのです。

特に、女性、妊婦さん、母親である人々は、もともと、妊娠期から出産後までの長い間、「妊娠・出産は病気ではないのだから」と月経、妊娠や産後の体について悩みを打ち明けられない経験をしてきました。「我慢するのが美徳」を通り越し、「我慢できないのは恥」と教え込まれてきたのです。こういう時こそ、保健室の先生のように気軽に相談できるような存在が大事だ!と、私たちは思っています。

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被災地の産科医の先生と

「支援学」にもとづく、本当に対等な協力関係とは

支援活動を行っていく中で様々な勉強をしていて、「支援学」というものがあることを知りました。例えば、支援をする側が、状況を型にはめ、こちらの偏見や推測、期待を持って接してしまうと、相手は誘導されていると感じ、うまく信頼関係を築けないということが系統立てて書いてあります。

実際に、地元の人や被災者の方と、外部からのボランティアの方のトーンやスピード感が違う、ということは阪神・淡路大震災の時も指摘がありました。こちら側は、「遠くから来ました!何かできることはありませんか?」と意気揚々と現地に入り、何か特別なことをしたがっているのですが、現地の人々は、普通の生活をしていて、そんなに大きな望みはありません。「最高のものを提供することが最良ではない」とは、一緒に活動していた家庭医が話していた言葉です。最新の医療、物資、最高の技術を提供しても、それが一過性のものであれば、普通の生活に定着しなければ、喜ばれないでしょう。あまり「支援者」「被災者」と線を引かず、対等な協力関係を結ぶ、それからどんな支援を必要としているかを明らかにするということが、実はとても難しいのです。

支援学を学ぶ中で、そのほか、「支援者が被災者の問題に対し当事者意識を持つのは大切だが、問題の解決方法を編み出していくのはあくまでも被災者である」、「支援する側の努力が受け入れられなくても腹を立てない。何があっても支援者が保身的になったり、恥や罪を感じないようにする」「誤謬を起こさないほどに被災者の現実を十二分に知ることはできないし、むしろ誤謬を起こし、それに対処して行くことで、被災者の現実をもっと良く学んでいける」「支援を求める人が気まずい思いをしているということを常に念頭に置きながら、その人が何を望んでいるかということを必ず問いかけるようにする必要がある」といったことを、学問的に学び、それを実地で活かし、また教科書に戻って考える、反省する、ということが出来たのは、私にとって大きな学びとなりました。

これから私たちは、毎週交替で派遣される医師や助産師ができるだけ同じ人をフォローするよう、電話やSkypeを使って1対1で、それも、年単位でつながり合っていく仕組みを作っていこうと思っています。実際、私も、被災地でお会いした妊婦さん数人と携帯メールでつながっており、出産報告、産後のお引越しなど連絡を取り合っていますが、彼女たちからの連絡を受けられるのは本当に嬉しいものです。時々、生まれた赤ちゃんの写真が添付されていることもあります。もちろん、派遣された助産師も日常業務があって忙しく、継続して現地に行くことはなかなか難しいのですが、一人か二人のメル友とのやり取りは楽しく励みになるものと思います。

そして、基本はいつでも、「絶えず人の役に立とうと心がけること」、「わかったつもりにならないこと」、「何が相手にとってプラスになるのかを把握するよう努めること」、「支援者が正解を教えるのではなく、正解に至るプロセスを共有しながら、一緒に進んでいくという態度を貫くこと」を心がけながら、現地の人々の能力を引き出し、地元力を高めることにつながればと思っています。

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新生児訪問で助産師さんと


参考文献:
Edgar H. Schein, The Corporate Culture Survival Guide: Sense and Nonsense About Culture Change (J-B US non-Franchise Leadership), Jossey-Bass, 1999
Edgar H. Schein, Helping: How to Offer, Give, and Receive Help, Berrett-Koehler Publishment, 2009
伊藤守・鈴木義幸・金井壽幸著、コーチング・リーダーシップ(第7章「支援学」)、ダイヤモンド社、2010年

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筆者プロフィール
report_yoshida_honami.jpg 吉田 穂波(よしだ ほなみ・ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー・医師、医学博士、公衆衛生修士)

1998年三重大医学部卒後、聖路加国際病院産婦人科レジデント。04年名古屋大学大学院にて博士号取得。ドイツ、英国、日本での医療機関勤務などを経て、10年ハーバード公衆衛生大学院を卒業後、同大学院のリサーチフェローとなり、少子化研究に従事。11年3月の東日本大震災では産婦人科医として不足していた妊産婦さんのケアを支援する活動に従事した。12年4月より、国立保健医療科学院生涯健康研究部母子保健担当主任研究官として公共政策の中で母子を守る仕事に就いている。はじめての人の妊娠・出産準備ノート『安心マタニティダイアリー』を監修。1歳から7歳までの4児の母。
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