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子どもを癒やす遊びの力 自分を表現し、乗り越える

体中に、戦慄が走った。東京で感じた揺れに、阪神淡路大震災と同じにおいを嗅ぎ取っていた。まさに未曾有の大災害。仲間がたくさんいる仙台も、時がたつにつれ壊滅的な姿を現していく。つながらない電話。焦りが心の奥にうずいた。

ぼくは、『冒険遊び場』のプレーリーダーを長く仕事としてきた。禁止や制約だらけの子どもの遊ぶ環境を、もっと自由に挑戦し、多少のけがも含めて子ども自身が試行錯誤できる場として返してあげたい。そう願う親や地域の人などと協働してつくってきた。禁止事項を取り払い、「自分の責任で自由に遊ぶ」という看板を掲げた。日本で初めてその遊び場が東京・世田谷に常設されたのが1979年のことだ。

95年1月17日の阪神淡路大震災勃発。それから4日後。遊び場に遊びに来ていた一人の子どもがつぶやいた。「地震のテレビばかりでつまんない」。災害はテレビゲームではない。自ら体感して子どもに震災のリアルな状況を知らせたいと被災地に行くことに決めた。1月25日に神戸入りし、2月3日に長田区内に子どもの遊び場を立ち上げた。そこは、避難してきた人で既に250人を数えていた。ブルーシートで築かれた公園の簡易住居群の一角に、無理やり陣取った「子どもの遊び場」だった。

炊き出しのたびに、100㍍近い列ができる。その真横で、大笑いしながら子どもと遊んでいたのが僕たちだった。被災した大人もボランティアも、緊急救援も終わらないこの時期の光景にけげんなまなざしを向ける。日に日に被災者が集まり、「子どもの遊び場」は縮小を求められた。

しかし、校庭も公園もすべてが避難テントで埋め尽くされ、子どもが自由に遊べる場はもはやどこにも存在しないようになっていた。

1カ月ほどしたころから、大人は被災体験をものすごい勢いで話すようになった。ぼくは、子どもからもそうした体験を表現する日が早く来ることを願った。2カ月がたったころ、それは遊びの中で表現されるようになっていった。

「震度1じゃ、2じゃ、3じゃ!」。ベニヤ板で作った手作りの机の上に6~7人の子どもが乗り、スクラムを組んで少しずつ揺れを大きくしていく。「震度6じゃ、7じゃ!」そう叫んだところで机の脚は折れ、ばたっと倒れた。うわっ!と子どもたちの歓声がはじける。

木っ端を並べ、その間に新聞を丸めて置いていく。その端々に火をつけ、あおぎながら炎を大きくしていく。「燃えとる、燃えとる!街が燃えとる!学校が燃えとる!」。叫びながら木っ端をさらに積み上げ火勢を上げる。「わーっ!」ここでも、歓声が上がった。

被災した大人たちに、この光景は不愉快そのものだった。けれど、大人でさえ語るようになるまでに1カ月を要した体験だ。自分の心を語る言葉をあまりもたない子どもは、遊びの中での表現を通してでしかそれを表すすべを持たない。「震度7じゃ!」で机の脚を折り、街を自分の思いのとおりに「燃やす」ことで、およそ受け入れることのできない巨大で理不尽な体験を、自分の意識化にコントロールし直そうとしている。

この遊びは、子どもが自身に降りかかった出来事を、何とか自分で受け入れ、乗り越えようとしている表れなのである。

遊びは、決して単なる暇つぶしではない。被災した子どもは、自分で何とかそれを乗り越えなくてはならない。走り回り発散する。友達と話し込む。時には痛手を負った出来事を遊びに変えて受け入れようとする。子どもは自分の世界を築き、自分を表現し、自分を癒やす。

未曾有の災害の中で、紛れもなく子どもも被災者だ。心のケアとしてカウンセラーを被災地入りさせるのも良いが、子どもには自分を癒やす力がある。そのため、十分な遊び場が必要なのだ。

仙台市の『海岸公園冒険広場』『西公園プレーパーク』。どちらも僕と同じ願いを持つ仲間の活動の場だ。そこが、壊滅的な被害を受けた。けれど3月13日、ようやく元気な声を聞くことができた。「子どもの復興」の始まりだ。

トルコ地震のとき、トルコの人たちは何を置いてもはじめに子どもが安心して遊べる場から復興させたという。「子どもが元気でいれば、みんな元気でいられる」。元気な地域を取り戻すために、協力したい。



※著者のご厚意により共同通信社への寄稿文から転載いたしました。
※著者のCRNへの掲載記事はこちらです。
筆者プロフィール
あまの・ひであき 大正大学人間学部特命教授。東京都世田谷区の羽根木プレーパークで80年からプレーリーダーとして活動。以来、全国の冒険遊び場づくりの支援運動を続ける。「子どもはおとなの育ての親」など著書多数。58年、東京生まれ。
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