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【ドゥーラ CASE編】第10回 日本における出産ドゥーラ導入の可能性:竹内徹先生(新生児科医)

「ザ・ドゥーラ・ブック:短く・楽で・自然なお産の鍵を握る女性(メディカ出版:2005年)」は、現在も入手可能な、ドゥーラについての貴重な翻訳本です。監訳者の竹内徹先生(元大阪府立母子保健総合医療センター院長)は、日本の新生児医療を長年率いてこられた傍ら「親と子のきずな」「マザリング・ザ・マザー」「ザ・ドゥーラ・ブック」(注1)などを邦訳して日本へ紹介し、その中でドゥーラについての貴重な情報も日本に紹介してこられました。しかし、ドゥーラに直接関連する先生のご講演や論文などはほとんどなく、竹内先生ご自身の思いやご経験について詳しくお話をお聞きしてみたいと願っていた方は多いのではないでしょうか。今回は竹内先生に、書籍翻訳の経緯、近年の日本へのドゥーラ導入の動きについてのお考えをお話しいただきました。

Q1.「マザリング・ザ・マザー」「ザ・ドゥーラ・ブック」を翻訳された経緯について教えてください。

竹内氏: 1970年代の半ば、淀川キリスト教病院にいた頃のことです。いつものように本屋さんが新刊書を私の机の上に置いていきました。それが"Maternal-infant Bonding"という本の初版でした。その表紙が、母乳を飲ませているお母さんの写真でちょっとショッキングだったのを覚えています。その本のタイトルや目次がとても面白そうだったので、当時米国留学から帰国されたばかりの柏木哲夫先生(注2)と相談の上、一緒に翻訳することにしました。その後、著者のマーシャル・クラウス先生は、新生児呼吸管理の研究者としても有名だった方で、クリーブランドの大学病院へお会いしに行きました。その時に、クラウス先生が、母親と赤ちゃんの早期接触についても積極的に研究されている様子を実際見ることができました。そこで「赤ちゃんと母親を離してはダメだ」ということから、母親が生まれたばかりの赤ちゃんに対してどういう行動をするかなど、お産直後の母子の行動観察をされており、私は研究グループのいろいろなディスカッションに参加し、また実際の観察内容を見せていただき、初めてこの研究分野の実際を知ったわけです。新生児の専門の先生がこんな研究をしているのか、と一種のカルチャーショックでしたね。そのうちに、日本でも母子関係が広く取り上げられるようになり、東大の小林登先生(CRN名誉所長)とご一緒にクラウス氏を日本へ招聘して、東京や大阪などで講演をしていただいたという経緯があります。

Q2.米国のマーシャル・クラウス先生や共著者のジョン・ケネル先生、日本では小林登先生や竹内徹先生など、小児科医の先生がドゥーラに注目し広めてこられたのはなぜだと思われますか。

竹内氏: こんなことに私が興味をもった背景には、「新生児というのは、お産からわからないと実際はわからない」ということがありました。私がイギリスに留学したのは1964~65年で、当時イギリスの産科病棟では、母親の横にベビーコット(ベッド)を置いて、母子を分離しない母児同室が基本でした。帰国後は大阪市立小児保健センターに4年半くらい勤めましたが、当時の日本では、未熟児室の中で疾病新生児も取り扱うという形で、「新生児室に病気の子どもが送られて来ても、母親についての情報はほとんど得られない」という状態でした。その後、淀川キリスト教病院に移り、そこはアメリカ方式で、異常分娩など、とにかくおかしかったら小児科医が分娩に立ち会う、という形式でした。それで「新生児に興味をもつ小児科医は、その母親の分娩から立ち会う」ということが始まったわけです。当時、そういう病院は東京の聖路加病院くらいで、日本にはほとんどありませんでした。分娩に立ち会ったら、今度は分娩のことを知らないといけない、母親の妊娠中の歴史も知らないといけない、ということで段々、現在なら普通になっているような新生児科医に目覚めたということでしょうか。その頃にクラウス先生の本に出会いました。

初版の題は"Maternal Infant Bonding(1976年,邦題「母と子のきずな」)"、第2版が"Parent Infant Bonding(1982年,邦題「親と子のきずな」)"、第3版は"Bonding[ボンディング](1983年,邦題「親と子のきずなはどうつくられるか」)"と、「母子関係が作られる基礎とは何か」と本のタイトルも変わっていきました。タイトルの変化を見ても、マーシャル・クラウス先生自身も「ボンディング」の話と並行して、妊娠中や出産時に母親をどういうふうにケアしていくかということに、本格的に取り組むようになったようです。

「ドゥーラ」の本でマーシャル・クラウス先生が特に関与している点としては、「良いお産経験が育児の基礎になる」ということです。産後1か月の母親と赤ちゃんの行動を観察した研究で、クラウス先生が参与しているようですね。ちょうどその頃にマーシャル・クラウス夫人であるフィリス・クラウス先生(注3)が、ドゥーラという、お産の伴走者のような人の働きを考え始めたようです(注4)。フィリス・クラウス先生は、「親と子のきずな」の執筆には直接参加されていなかったようですが、第3版「ボンディング」になった時には、親と子の関係がどのように形成されていくかということで、その中では奥さんがかなり貢献されていると思います。

1990年の初めに"Mothering the Mother"という本が出ました。私はちょうど助産師学校の校長を併任しており、教員の皆さんと一緒にそれを翻訳して、私の退職記念として多くの方にお配りしたことを覚えています。この本は、まさにドゥーラの話です。この本では、フィリス・クラウス先生は第2著者になっていますが、内容は大部分が彼女によるものだと思います。2012年に出版された「ザ・ドゥーラ・ブック」の第3版には、新しいエビデンスがまた加わったそうです。

私は「ドゥーラ」という言葉は、小林登先生がダナ・ラファエル氏の母乳育児の本を翻訳して出された時に聞いてはいました。その本では母乳哺育には産後が大事だということが強調点でしたが、フィリス先生らのアイディアは少し違って、妊娠の初期からお産を中心に継続してサポートしていくという、そういう趣旨のようですね。出産にはもっと先に準備期間があるわけですから、そこから始めなければいけない、ということもあったのではないかと思います。

それから、最近では、児童虐待を周産期から予防するという新しい問題があります。経済的な問題や社会的に恵まれない妊産婦の問題などにより社会的に孤立した家庭に起こりやすい虐待を防ぐ努力として、妊娠中や出産時から虐待予防をきちんとやらなければ、というデータも出始めているようです。フィリス・クラウス先生が今年12月に来日される時には、講演の中に新しい知見として盛り込まれると思います。

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「マザリング・ザ・マザー(ザ・ドゥーラ・ブックの前身)」(左)
「ザ・ドゥーラ・ブック(第2版・2002年の日本語訳)」(中央)
最新の原版(第3版・2012年)(右)

昔は、正常産は助産師、リスクが高い場合は産科の先生がやるというお産形式でした。自然出産を求めるお産革命が始まったのはイギリスだったと思います。お産の歴史をかなり詳しく冷静にメタ・アナリシス分析した英語の文献集、オックスフォードのコクラン・シリーズも読んだことがあります。ドゥーラが出てくる背景には、アメリカの産科学の歴史が大きく関与しております。助産師の制度ができても、どうしても医学的なリスク管理を優先する出産ケアが主体になりますから、ドゥーラという、正常・健康な部分に焦点を当てて、周産期だけでなく、妊娠初期から母親と一緒に生活の一部もお手伝いする、という形が補足的に生まれてきたのではないかと思います。

ドゥーラは基本的に、日本の昔の産婆さんの形に似ていると思います。日本には古くから、家庭分娩をやり、その子の結婚式まで覚えているおばちゃん、というような存在で、生活にずいぶん密着した産婆制度がありました。日本にはそういう歴史があり、イギリス系の助産学を早くから取り入れたけれど、そのうちに医学がどんどん進歩したので、今度は助産師も科学的な根拠をもって最新の助産をやらなければ、と医学で武装した結果、医療的な出産という形になってしまったのではないでしょうか。

Q3.日本でドゥーラが広まりつつある最近の傾向について、どのように感じていらっしゃいますか?

竹内氏: 私が気になるのは、日本の、特に病院勤務の助産師が、どこまで活躍できるかということです。今の助産師は、フィリス先生が書かれた「ドゥーラ」のような役割は、まず果たしていないと思います。ドゥーラについての本「マザリング・ザ・マザー」を一緒に訳した時の助産師学校の先生たちの感想は、「よくここまでやるわ」という雰囲気でした。助産師はドゥーラほど細部に目が届かないわけです。日本の助産師さんもかなりいろいろ勉強していますが、それでもやっぱりドゥーラのような役割はちょっと無理でしょう。たとえば、産婦一人のために助産師がずっと側についているわけにはいかないわけですから。

ドゥーラに関して私が特に感心する点は、ドゥーラが「母親がしてもらいたいことは何でも言えるような信頼関係をつくりあげている」ことです。「他の人には聞けないようなことが聞ける」という立場です。分娩中、男性では絶対ダメで、夫でもダメで、やっぱりお産を経験した女性が、横にずっといてくれることです。「今こんなことを頼んでもおかしくないだろうか」とか、そういう遠慮は一切いらない。一時も離れず横にいて、自分が聞きたいこと、頼みたいことをすぐ聞ける・頼める、という役目を果たしているという、いわば「continuous companionship」(訳注:ずっと寄り添う人、伴走者)というか。しかも妊娠中でも家事の一部も一緒にやったりできるお友だち、親よりももっと聞けないことを聞けるようなそういう立場の人、というニュアンスですね。ですからどこにも気負いがなくて、横にいて邪魔にならない。

私は基本的に、ドゥーラをもし導入するとすれば、ドゥーラは「生活の現場にいる」という強みがある点ではないかと思うのです。アメリカではすでに公認のドゥーラ組織がたくさんあり、妊婦さんが申し込んで面接して、自分が気に入った人を選ぶという形ですね。人間ですから「この人いけすかんわ」という人もいるでしょうから。自分で選ぶ権利があり、2、3人会ってみて、気に入ったドゥーラを選んで、ずっと妊娠中から日常生活を通してかかわってもらうという形です。

もし日本でドゥーラが活躍できるとすれば、やっぱり妊娠中、分娩中、分娩後、それから1年間、母親とその夫・パートナーを支えていくという形でしょうか。これが既存の制度とどう折り合いをつけるかというのが難しいですね。例えば、最近は助産外来をやる病院が多くなりました。助産師がプライマリー・ケアの形で妊娠中から面倒を見るというものです。もし、ドゥーラが、妊娠初期から、あるいは分娩後もドゥーラとしての支援を続けていくとすれば、助産師と拮抗する部分が出てくるのではないかと思うのです。だからドゥーラの意味や立場を、どういう形で位置付けるかということが、これからかなり問題になるのではないでしょうか。日本でも最初は、いろいろな抵抗があるのではないかと私は思います。

潜在助産師というか、もともと助産師の経験があって今は家庭に入っている助産師の方たちも参加する、という形は非常にいいのではないでしょうか。その方たちを通してドゥーラが理解されると早いのではないでしょうか。今の時代、ある程度、病院の管理分娩に組み込まれて行くのは避けられないと思います。それに応じた形でやるためには、潜在助産師の方たちがドゥーラとして参加されて変えていくというのが、一番やりやすいのではないでしょうかね。

日本ではすでに「産後ドゥーラ」が出てきましたが、ドゥーラは本来、妊娠の初期から参加していかないと肝心のお産のサポートができないわけです。分娩をうまく、楽ではなくても、母親が安心して納得のいくお産ができるというのがドゥーラの目的ですからね。だから、産後だけではちょっと腰が引けているという気がします。

Q4.日本で出産ドゥーラが今後増えるとしたら、ドゥーラへのメッセージやアドバイスをお願いします。

竹内氏: あんなややこしい管理分娩のアメリカで、ドゥーラもはじめは、いろいろ苦労はあったと思います。病院にとっては、最初の頃、ドゥーラは少し邪魔になったようです。だからドゥーラは必死になって自分たちの存在理由をちゃんと説明して、まず病院のスタッフと仲良くなって...というような経緯があり、そのうちにドゥーラの存在が暗黙の内に認められるようになった結果、現在の制度が出来上がっていったようですね。

日本でも、出産ドゥーラを導入するとすれば、根本的に現状を変えることになるわけですから、初めは抵抗があると思います。おそらく、日本の助産師は、ドゥーラが助産師のテリトリーに入ってきて、正当な報酬を得たいのではないかというような受け止め方をするでしょう。ただ、お互い敵じゃなくて味方になるほうがいい。ドゥーラは、「やっぱりあの人たちおらんとちょっと困るなぁ」っていうような働きから始めるのが一番いいのではと思います。そういう意味ではドゥーラは、最初「助産師が忙しくてできないことをお手伝いする」、言葉は悪いですが、「その部分を下請けする」という形から、まず始めてみるのが一番受け入れられやすいのではないでしょうか。

何でも最初やるときは大変なものです。私が新生児室に赤ちゃんの両親を24時間365日入れ始めた頃は、組合の反対は受けるし、事務局も反対するし、最後は「いらんことしてくれるな」とまで言われました。感染の問題が起こっているに違いないと、誤解に基づいた憶測から公開席上で酷評される、そういう時代がありました。でも私は「いずれわかることだから」と平気でした。両親がNICUに24時間自由に入れるようにするということは、何も、にわかに、特別な主義とかエモーショナルなことでやったのではありません。不自然なことを不自然だと言おう、というところからやっただけです。私たちは母子相互作用について、病院と阪大の人間科学部の先生たちと一緒に、母親が最初にどういう気持ちで、またどのようにして保育器の中の小さい子どもに接触するか、その行動を観察して母親の意識を産後1年間ずっとフォローするという研究をしていました。NICUの感染対策についても、当時から北島博之先生(注5)を中心に、検査部とタイアップして細菌のサーベイランス(調査監視)を定期的に行い、エビデンスを蓄積してきた結果、確信をもって実行できたのです。

また、キリスト教病院の助産師さんと一緒に研究したことがあるのですが、お腹の中で亡くなる死産と、生まれてから亡くなる新生児の死を比べると、死産に対してはお母さんがいつまでも死産の原因に疑問や不信感をもち続けることが分かりました。しかし、新生児の死の場合は、皆さん非常に感謝されました。おそらくその原因は、生まれたときから一緒に子どもの経過を見て、看護師や先生が何をどれだけやっているかを母親自身が一番知っていたからでしょう。悪くなったとき呼ばれても、普段面会に行っても、いつでも様子がよくわかるわけです。看護師も主治医も必ず説明してくれますから。そうしたら親御さんは納得します。お互い情報を共有できるわけです。最期には抱っこして死を看取るということまで行いますと、全然違います。自分の目で見て、事態をちゃんと理解しているということがいかに大事かということがわかります。これは子どもの死というネガティブな面でみた研究ですが、闘病するわが子というポジティブな面で見れば、親御さんは「こんなにみんなが頑張っているのだから、将来絶対にこの子をがんばって育てよう」という意気込みが違うと思うのです。

私が大学に入局した昭和34年頃は、新生児医療は未熟児医療として始まったばかりの時期で、大学病院時代では、新生児が病気になると産婦人科の顔見知りの先生から「ちょっと診てくれるか」と電話がかかってきて呼ばれ、正式の往診ではなく、こっそり診に行った時代でした。その当時から、どんな重症例が送られてきても、私は産科の先生にはただ事実だけ伝えて、一言も文句を言わなかったです。決してクレームをつけなかった。手遅れだったかどうかは、現状を見ればわかります。しんどい時代でしたが、黙って引受けて後は最善を尽くす。相手を責めるのではなく、今できる最善の方法をやる、ということで、段々と「これではダメですよ」というフィードバックをかけていったという立場でしょうね。そのうち「彼がおらんと困るわ」というような関係になってくるわけです。そのようにして、産科の先生との意思疎通をはかっていき、先輩産科の先生からは弟のようにかわいがってもらったところがありました。だから、ドゥーラの働きも、とっかかりはそんな形で、いろいろ反論もあるかもしれないですけど、一歩下がって二歩前進ということで。ドゥーラも、10年かかるくらいのつもりで、慌てずに、どこかの時点で無償の奉仕のつもりで、やられていったらいいのではないですかね。ドゥーラを制度化する前に、そういう奉仕的な面の活動を通じて、段々と認められていくという形が一番良いのではないでしょうか。


執筆協力:界外亜由美


  • 注1:いずれも小児科医であるマーシャル・クラウス氏、ジョン・ケネル氏の著作。ケネル氏は2013年に逝去(享年91歳)。
  • 注2:精神科医、内科医。兵庫県出身。大阪大学医学部卒。ワシントン大学に留学帰国後、1972年に淀川キリスト教病院にターミナルケアチームを結成、1984年にホスピスを開設。淀川キリスト教病院理事長、大阪大学名誉教授、ホスピス財団理事長淀川キリスト病院。公益財団法人日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団の理事長。「タ-ミナルケアとホスピス(大阪大学出版会」など著書多数。
  • 注3:臨床心理士、ソーシャルワーカー、LMFT(Licensed Marriage Family Therapist: 結婚・家族セラピスト免許)。世界最大の国際ドゥーラ組織であるDONA International(1992年設立、http://www.dona.org)の共同設立者。今年12月に来日、第61回日本新生児成育医学会学術集会(12/1-3、大阪国際会議場)および筑波大学(12/5、医学キャンパス)にて講演予定。
  • 注4:フィリス・クラウス氏の夫であるマーシャル・クラウス氏とジョン・ケネル氏が、NICUで母乳育児をおこなう母親の行動を観察する研究をおこなっていたのをきっかけに、フィリス・クラウス氏は出産ドゥーラのアイディアに強く興味をもつようになった。マーシャル・クラウス氏とジョン・ケネル氏も、ドゥーラの効果を確かめるためのRCT(無作為割付対照化試験)を実施する運びとなった。研究成果発表の頃、彼らはペニー・シムキン氏とアニー・ケネディ氏に出会い、五者で、DONAを共同設立するに至ったという(2016年6月、フィリス・クラウス氏と著者のpersonal communicationより)。DONA Internationalのウェブサイト内にも関連情報(http://www.dona.org/aboutus/founders.php)がある。
  • 注5:小児科医、大阪府立母子保健総合医療センター新生児科主任部長。第61回日本新生児成育医学会学術集会大会長。(学術集会ウェブサイト: http://web.apollon.nta.co.jp/jsnhd61/

    • 参考文献
    • Starr, M., Chalmers, I., Clarke, M., Oxman, A.D. (2009). The origins, evolution, and future of the Cochrane Database of Systematic Reviews. International Journal of Technology Assessment in Health Care, 25, Supplement 1, 182-195.
    • マーシャル・H. クラウス, フィリス・H. クラウス, ジョン・H. ケネル.(1996).マザリング・ザ・マザー―ドゥーラの意義と分娩立ち会いを考える.竹内徹(監訳), 大阪府立助産婦学院教務 (翻訳).メディカ出版.
    • マーシャル・H. クラウス, フィリス・H. クラウス, ジョン・H. ケネル.(2005).ザ・ドゥーラ・ブック―短く・楽で・自然なお産の鍵を握る女性.竹内徹,永島すえみ(翻訳).
    • マーシャル・H. クラウス, ジョン・H. ケネル. (1985). 親と子のきずな.竹内徹,柏木哲夫,横尾京子(翻訳).


    • プロフィール
      竹内徹
       1957年大阪大学医学部卒業。1962年大阪市立大学医学部大学院小児科専攻課程修了。1964~1965年英国留学。1965年より大阪市立小児保健センター医長。1969年より淀川キリスト教病院小児科部長、医務部長、副院長。1981年より大阪府立母子保健総合医療センター新生児科部長、副院長、院長を経て1996年退職。大阪樟蔭女子大学児童学科教授、ベルランド病院顧問など。現在、大阪発達総合医療センター幹事・理事。著書・翻訳書多数。「親と子のきずなはどうつくられるか(医学書院)」「改訂2版 ロバートン新生児集中治療マニュアル(メディカ出版)」「ハイリスク新生児の臨床 第5版(エルゼビア・ジャパン)」など。大阪府内の「新生児診療相互援助システム:NMCS」(公立や私立を問わない病院連携による自助組織)をボランティア活動として創設。(参考リンク:http://www.osk-pa.or.jp/child-care/cc5/birth/20060901255.html)。

筆者プロフィール

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福澤(岸) 利江子

筑波大学医学医療系 助教。
助産師、国際ラクテーションコンサルタント。 ドゥーラに興味をもち、2003-2009年にイリノイ大学シカゴ校看護学部博士課程に留学、卒業。 2005年よりチャイルド・リサーチ・ネット「ドゥーラ研究室」運営。


界外亜由美
ライター・コピーライター。広告制作会社で旅行情報誌や人材採用の広告ディレクター・コピーライターとして活動後、フリーランスとなる。また、ドゥーラと妊産婦さんの出会いの場「Doula CAFE」の運営など、ドゥーラを支援する活動も行っている。
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