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【ドゥーラ CASE編】第7回 「助産師とドゥーラ」「日本とアメリカ」―それぞれの比較から考える、妊産婦さんへの寄り添いとは

はじめに

「妊産婦さんが妊娠・出産・産後に求めるものは、寄り添いである」。これは国や文化を越えた、ドゥーラ *1たちの普遍的な意見です。一方で、妊産婦をとりまく状況は社会や文化によって異なります。医療制度の違いもその一つであり、例えば、ドゥーラと助産師は非常に近い職業です。日本の助産師には長い歴史があり、妊産婦さんへの寄り添うケアを大切にしている方が多いようです。

今回は、日本で助産師として病院などで働いた後に、米国でドゥーラとして活動した経験をもつ坂田あゆみさんと薬師寺麻利子さんに、助産師でありながらドゥーラについて学ぶことで発見したことや、日米の助産師の違いなどをうかがいました。おふたりのお話から、助産師とドゥーラ、日本とアメリカの違いについて考察を深めたいと思います。

Q1: 日本の助産師でありつつドゥーラとして米国で活動された体験から、どんなことを学びましたか?

A: 相手に寄り添うとはどういうことかについて改めて学びました。医療者が妊産婦さんに真に寄り添うことの難しさも感じました。

【坂田さん】
ドゥーラ養成のワークショップを受けていた時に、「No Judgement:その女性の価値観や考えに対して、善し悪しを一方的に判断しないこと」という言葉が一番印象的でした。その人の価値観や考えを否定せず、自分の価値観を押し付けず、まず最初にその人をそのまま受け入れること、これは寄り添うことの第一歩だと思います。こうした視点での"寄り添う"ということは、周産期の女性と関わるドゥーラや助産師にとってとても重要な視点だと感じています。

Midwife(助産師)という言葉は「女性に寄り添う女性」という意味があります。日本の助産師はドゥーラのような役割を担っているということをわかっていても、助産師として働いていた頃は、自分の力不足もあって、もどかしい気持ちになったことも多々あります。"寄り添う"って何だろう。助産師として働き始めたころは、仕事をこなすことに精一杯になりつつも、寄り添うこととの狭間で色んな思いを巡らせていました。

ドゥーラに出会い、ドゥーラの活動の実際を目の当たりにし、産後ドゥーラになる過程を通じて"寄り添う"ことについてより深く考えていけるようになったと感じています。寄り添うとは、女性が何に対して、どう考え、なぜそのように思うのかを知ること。その人自身をどれだけ知っているか。支援者が理想と思う姿に相手(女性)をあてはめようとするのではなく、相手自身を知り、その人が母となることを支えることが寄り添いだと思います。

【薬師寺さん】
私の場合は、アメリカで活動していた時も日本での助産師という資格と助産師としての経験を売りにしていたし、その部分をかってくださったクライアントさんも多かったように感じます。宣伝という面では助産師は役立ったものの、実際にドゥーラとしての役割の時には助産師という資格がなければ良かったのにと思ったこともありました。それは、助産師であるがために常にクライアントさんを医療的側面から見てしまう事が多く、私はドゥーラになりきれていないのでは、と感じたからです。

例えば、自然分娩を望んでいた方が胎児の状況により突然帝王切開分娩になった時、医療者側から考えたら赤ちゃんと母のためには最良の選択だと思える時でも、 産婦さんは今まで長い時間温めてきたであろう自らの考えを変えなくてはならないし、それは簡単なことではないにも関わらず短い時間での判断が必要となります。そんな時、私は医療者と同じ、赤ちゃんとご自身のためなのだからという視点に回っている気がしたのです。もし助産師として働いていなかったら、産婦の「自然分娩をしたかった」という気持ちにもっと寄り添えたような気がしました。また、血圧、体温、胎児心拍やモニターなどを見た時に、私は出産の進行状況を考えたりアセスメントしたりしていました。

このようなことは、アメリカの助産師の通訳をする時や、産婦さんが出産の進行状況に疑問を持たれた時には役に立つと思います。ただ、お産の進行状況がわからないからこそ、産婦と同じ視点に立ってその不安な気持ちを理解すること、寄り添うことができることもあるのではないかと感じました。つまり、医療者としてではなく、産婦が求める対等な相手として向き合い、気持ちを共有し、寄り添うことができていたか?と疑問に思うことがありました。ドゥーラは医療職ではありません。だからクライアントさんと同じ視点にたって同じ立場から寄り添うことができると思うのです。医療者がなぜこの処置を今するのかが分かる事でクライアントさんから喜ばれた事もありましたが、同時に、スキルを持つ事の難しさも感じました。私は自分の経験から、医療的な視点ももつドゥーラと非医療職者であるドゥーラは領域が違うのではないかと感じています。

Q:2 アメリカにおける助産師とドゥーラの違いについてどう思いましたか?

A: アメリカの助産師はドゥーラサポートの重要性やドゥーラが入ることを認めつつも、自らは助産的な判断をすることに徹しているように見えました。アメリカでは、助産師とドゥーラは目標を共有する医療者と非医療者として、きちんと分担されているように見えました。

【薬師寺さん】
アメリカの助産師は、日本の助産師のようにそばにいてマッサージをするといった細やかな気づかいはなかったように思います。アメリカの助産師はお産のスペシャリストとして、出産の進行状況や胎児の状態、医療介入の必要性などを見極めていました。そして、アメリカの助産師は非医療的な"寄り添い"の重要性を侮っているわけではなく、ドゥーラの必要性を認識し、ドゥーラが入る事を認めているように感じました。

【坂田さん】
わたしが出会ったドゥーラたちの中に、医療従事者としての経験をもつ方はいませんでした。ドゥーラたちには、ドゥーラとなることを選択したそれぞれの思いがありました。「自身の妊娠・出産、子育ての経験から学んだこと、感じたことを活かしたい。」「子どもと接することがとても好きで、これからも関わっていきたい。」「自身の子育てが落ち着き、誰かの役に立ちたい。」彼女たちはその様々な思いを教えてくれました。そして、すべては「これから妊娠・出産・子育てする女性に素敵な経験をしてほしい」という思いにつながっていました。出産や子育てを肯定的なものとして捉えられることは、女性個人にとっても、社会にとってもよい影響を及ぼすと思います。

昔は自宅出産が一般的で自然なものと受け止められていましたが、お産の主流が病院施設に切り替わってからは、自然なものではなくなりました。助産師が子どもを取り出すのではなく、助産師は、母親の産む力・子どもの生まれようとする力を最大限に引き出す関わりをしながら一番大切な安全を守ります。しかしながら、出産が集約化されて母子の安全以外のことまでケアが及ばないこともあることに、助産師個人としての不甲斐なさを感じる、ということも少なくありません。そんな場では、「関わり」を重視してくれる人が妊産婦さんのそばに居たら、助産師も心強いと思います。助産師とドゥーラの間に役割分担を作っても、共に妊産婦さんに目をむけることにはかわりありません。助産師の持ち味とは、女性の一生にかかわる職種としての専門的な知識や技術、産科医との連携。一方、ドゥーラの持ち味とは、女性その人自身をみつめ、尊重し、寄り添う関わりだと思います。それぞれの持ち味を活かしつつ、助産師とドゥーラが共に妊産婦さんに関わり、課題を乗り越えていけるようになるといいな、と感じます。

Q:3 日本の助産師がドゥーラの役割を担っていることについてどう思いますか?

A: 日本の助産師は、妊産婦さんにドゥーラとして寄り添うことを学んでおり、多忙や人手不足などとても難しい状況にあっても、自ら寄り添いを実行しようと努めています。でも現実は、助産師自身の気持ちだけではうまくいかず悩んだり、もどかしさを感じている助産師も多いように感じます。

【薬師寺さん】
日本の助産師は、ドゥーラとして寄り添い、待つことなどを自ら学び、習得し、実行しています。しかし、産婦さん側からは未だに、一人で頑張って辛かったという話や、助産師が忙しそうで必要最低限のことしか話せなかったという話をよく聞きます。病院や助産院などの人員や入院人数などの状況により、すべての人に必要な寄り添うケアができず、そのうまくいかない現実に悩んでいる方も多いように感じます。

【坂田さん】
ドゥーラになる経験を通じて、日本の助産師のすごさも改めて確認できました。様々な国で、地域で、助産師の位置づけや役割も異なります。各国の助産師の成り立ち・背景・教育などは異なります。日本の助産師は昔の産婆だったころから、女性に寄り添う者として存在し続けてきました。現在は、助産師として寄り添いたくても寄り添えないもどかしさを感じ、割り切って関わらないと女性の安全が守れない、助産師自身も守れないなど、助産師の気持ちだけでは対処できない現実があります。そのような状況でも、日本の助産師は女性が自身の力を信じる事に目をむけ、最大限かかわろうとし、出産に臨む過程を共に歩んでいます。そこが日本の助産師のすごさかなと思います。

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働く助産師のイメージ写真(愛知県岡崎市、2005年)撮影=Sakae Kikuchi
考察

日本の周産期ケア制度の特徴とは
日本の助産師は、古くは「取り上げ婆」「産婆」として人々に知られ、1899年(明治32年)の産婆規則により正式な職業となり、地域社会を基盤に妊娠~産後の支援において重要な役割を果たしてきました。終戦後(1946年以降)にGHQを迎えて、助産師制度の改革が遂行されましたが、当時のアメリカで助産師は「危険」「無教養」「時代遅れ」だというイメージをもたれていたことも影響してか(Rooks, 1997)、GHQの改革の後、日本でも開業助産師の衰退が大きく進みました(大林, 1989; 木村, 2013)。現在の日本では99%の女性は医療施設で出産します。近年増加しつつある院内助産所を含めても、助産所で出産をする女性は全体の約0.7%ととても少なく、年々減少しています。分娩を取り扱う助産院の数も年々減少しています(厚生労働省, 2015)。つまり、戦後に始まった出産の医療化の流れは現在も続いています。

就業助産師は全国に約36,000人、うち88%が医療施設に勤務しています(厚生労働省, 2015)。この数は産科以外で働く助産師も含みます。助産師は看護師免許も持ち、特に産婦人科などの混合病棟では看護師としても働くことが多いため、病院では看護師と同じに見えるかもしれません。妊産婦さんから「妊娠して初めて助産師という職業があるのを知った」という声もよく聞きます。しかし、実は、妊産婦さんが助産師という職業を知らなくても(助産師のケアを受けたいとあえて希望しなくても)、産科医を主治医としつつ助産師のケアも自動的に受けられるというシステムは、日本のユニークな特徴です。例えばアメリカでは、妊婦さんが産む場所を決める時点で、産科医または助産師のいずれかを自分の担当と決めます。産科医を担当とした場合には、産科医と産科看護師からケアを受けます。その場合は健診や出産の場でも助産師に会うことは一切ありません。助産師を主担当と決める場合には、異常がない限り助産師がすべてのケアをおこないます(岸,2014)。

この他に、日本の周産期医療制度の特徴としては、日本の助産師は薬の処方、会陰切開や縫合などの医療行為をしないこと(海外の助産師は投薬や小手術をおこないます)、日本では、正常な妊娠・出産・産後は理論上は医療の対象ではなく自費・自由診療であること(海外では医療保険の対象であり、保険の種類によって産院が決められることがよくあります)などが挙げられます(三砂, 2015; Fukuzawa & Kodate, 2015)。つまり、日本の助産師の多くは医療施設で看護職として産科医と共に働き、妊産婦さんが医療の範囲内でもできるだけ自然な妊娠・出産ができるよう、妊産婦さんに働きかけている、といえます。そして日本の妊産婦さんにとっては、医療保険という縛りなく産院を選び、母子の生命の安全のために産科医を主治医としつつ、生む女性の自然な力を引き出す助産師のケアもわざわざ求めずしても自動的に受けやすい、といえます。これらが日本の制度上の特長だと思います。

しかし、2006年に「出産難民」という言葉が社会問題になったように、近年の社会状況の変化により、上記の制度上の特長を生かせない、という問題が生じています。医療保険の縛りなく自由に生む場所を選べるとはいっても実際は、地方の過疎化や産院の閉鎖や出産の集約化により、産む場所が近くにない、選べない、という地域が増え続けています。産科医を主治医として医療へのアクセスを常時もちつつ、助産師のケアも受けて女性が自分で産む力を最大限に引き出す、という強みも、スタッフ不足や多忙のために難しくなっています。人手不足の状況では、助産師がリスク管理(産科医療)に重点を置かざるを得なくなり、助産的なケア(相手のペースに合わせて関わる、ずっと付き添う、その人に合った情報を伝える、などの親密な人間関係を基盤にしたサポート)は後回しにしなくてはいけない状況で働いているからです。

助産師のアイデンティティ
今回、坂田さんと薬師寺さんは、海外と比べて、それでも日本の助産師は、寄り添いを助産師の仕事として認識し、自分たちでその役割を遂行しようと頑張っている、と認めつつ、助産師のやる気や思いだけでは対処できない現実の問題を解決する一つの方法としてドゥーラの導入および役割分担の意義を認めています。

同時に、助産師が寄り添いに職業的なアイデンティティを見出しているとすれば、ここまで粘ってきたからこそ尚更、その部分を他者(ドゥーラ)に譲って医療者に徹するのは難しい選択でしょう。妊産婦さんへのケアが増えるのを見られるのは嬉しい反面、助産師から寄り添いの役割が奪われたら何をよりどころに助産師の仕事を続ければ良いのか、と無力感や味気無さをきたすのでは、という危惧はもっともです(Stevens et al., 2011)。

ドゥーラについて情報を紹介してきたこの10年間、私自身も助産師として、この問題がずっと気になってきました。「寄り添いはドゥーラがやるから、助産師は分娩の進行具合と正常からの逸脱の見極めに専念してもいいですよ」と言われたら、これまでドゥーラの役割を大切にしてきた助産師は複雑に感じるのではないだろうか?と。この点について、坂田さんと薬師寺さんも同意見でした。その上で、「妊娠・出産のプロセスも、人と人のかかわりもとても複雑なものです。ここはあなた、ここは私、ときれいに分けて独占できるようなものではないと思います。ドゥーラの寄り添いと助産師の寄り添いは似ているように見えても本質は異なるので、それぞれの特性を生かした共存には意義があると思います(坂田さん)」と。

結局は、国内の現場の状況もとても多様なので、その地域や施設の諸条件に応じて、十分な情報をもとにケースバイケースで当事者(支援者と妊産婦)が自分たちで判断していくのが一番良いのだろうと考えています。また、冷静な判断をする中でも、現場で働く助産師や産科医などの価値観や働き甲斐という気持ちの面は「主観的だから」と軽んじてはいけないと考えています。現実の問題に向き合い、今後を予測し、国内外の様々な例に学びつつ、これまで産科医療を担ってきた医療者の思いも含めて、一緒に取り組もうと手を差し伸べてくれる社会の人々(ドゥーラを含む)にきちんと説明し、共に決めていくことが大切ではないかと思います。ドゥーラと他職種との職業間葛藤や連携のコツについては、今後改めて取り上げたいと思います。

非医療者による真の寄り添いとは
シアトルのなでしこクリニックで本格的に出産ドゥーラの活動をした経験をもつ薬師寺さんの、真に「寄り添う」ことが、非医療者であるドゥーラにはできても、医療者である助産師には時に難しいことがある、という指摘はとても興味深いです。坂田さんが挙げた"no judgement"という言葉は日本語に訳しにくいのですが、相手を断罪しない、あらさがしをしない、自分の価値観で相手を批判しない、という意味です。 相手の良いところを見つけ、レッテルを貼ることなく、不安さえ共有しながら、人としてまるごと接していくドゥーラと、妊産婦さんを患者として対象化し、臓器別など部分に分けて理解し、病気や健康問題(弱み)を特定してラベル付け(診断)しなければ治療が始まらない医学は、まったく対極のアプローチといえます。医療者でありつつドゥーラとしてnon-judgementalに寄り添うことが成立しにくいのはそのせいかもしれません。Gilland (2011) は、ドゥーラが提供している情緒的サポートはとても精巧かつ複雑であり、多忙な医療者がこれらのニーズを満たすのは非現実的だろう、と述べています。これは、時代の流れにともない出産のケアに医療化が起こったということだけではなく、助産師という職業においても、医療化が内面化したということかもしれません。

まとめ:役割分担vs.ケアの継続性

最近よく見かける「切れ目のない支援」「ケアの継続性」というフレーズは、分業化が進んだ結果、本来は包括的であるべきケアが分断されてしまった現状に対する問題提起です(Hodnett, et al., 2013)。妊娠~出産~産後にかかわる支援について、例えば医療の分野では、妊娠期は外来、分娩期は病棟、産後は地域、と時期によって役割分担をしてきました。また、異常のある場合は医師、そうでない場合は助産師、など職種によっても分担してきました。

ドゥーラの導入とは、さらなる分業化です。本来、お産というプライベートな場にかかわる人の人数は少ない方が良いはずです。本当はこれ以上、妊産婦さんにかかわる支援担当者の数は増やさずに、例えば助産師が常にドゥーラの役割を担うことができれば理想なのでしょう。もし日本に出産ドゥーラを導入するとしたら、さらなる分業化によりケアの継続性が損なわれないよう、支援者同士が密に連携しなければいけません。人手不足になった部分を新たな職種に任せることにより、専門職化や階層化が進みます。非医療的なケアが医療より下層だと認識されれば、ドゥーラは医療者の手足とみなされてしまう恐れがあります。つまり、ドゥーラを導入すると、非医療的なケアを人間の尊厳を守る仕事として、医療の枠組みの中でありながらも、医療の下層ではなく正当に位置づける、という新たな課題に向き合うことになります。

また、出産ドゥーラを導入しないとしたら、現在の周産期ケアのさらなる医療化や人手不足の傾向にあっても、非医療的なサポートをすべての妊産婦さんとその家族に十分に提供する方法をどのように保証していくべきでしょうか。

海外の情報が誰の手にも自由に手に入る現代社会において、私たちはこの問題の選択と対処に迫られている気がします。読者の皆様はどのようにお考えになりますか?

(執筆協力:界外亜由美)



  • *1 本稿で言及する「ドゥーラ」とは、出産ドゥーラから産後ドゥーラまでを含みます。

参考文献

  • 大林道子.(1989). 助産婦の戦後.勁草書房.
  • 岸利江子.(2014). 米国の医療制度と周産期の医療提供システムの概要.助産師基礎教育テキスト 第3巻『周産期における医療の質と安全』.日本看護協会出版会.
  • 木村尚子.(2013). 出産と生殖をめぐる攻防―産婆・助産婦団体と産科医の100年―.大月書店.
  • 厚生労働省.(2015). 周産期医療体制の在り方に関する検討会(資料).
    http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/other-isei.html?tid=292852
  • 三砂ちづる.(2015). 女が女になること.藤原書店.
  • Fukuzawa, R.K. & Kodate, N. (2015).Chapter 8: Japan. In Maternity Services and Policy in an International Context: Risk, Citizenship and Welfare Regimes. (Eds.) Kennedy, P. and Kodate, N. Routledge. UK. pp. 153-178.
  • Gilland, A. (2011). After praise and encouragement: Emotional support strategies used by birth doulas in the USA and Canada. Midwifery, 27(4), 525-531.
  • Hodnett, E. D., Gates, S., Hofmeyr, G. J., & Sakala, C. (2013). Continuous support for women during childbirth. Cochrane Database Syst Rev, 7, CD003766. doi: 10.1002/14651858.CD003766.pub5
  • Rooks, J.P. (1997). Midwifery and childbirth in America. Philadelphia: Temple University Press.
  • Stevens, J., Dahlen, H., Peters, K., & Jackson, D. (2011). Midwives' and doulas' perspectives of the role of the doula in Australia: a qualitative study. Midwifery, 27(4), 509-516.


  • プロフィール
    lab_03_38_01.jpg  薬師寺麻利子
      日本の大学病院と助産院に勤めた後、夫の仕事の関係でアメリカ、シアトルへ。友人の出産をきっかけにDONAでドゥーラの勉強をし、2004年から2007年まで活動。シアトルでは、なでしこクリニックに勤めながら病院、バースセンターなどでお産に立ち会う。「現在はドゥーラ活動をしていませんが、日本にドゥーラが広まればいいなと思っています。」


    坂田あゆみ
    助産師、DONA International 産後ドゥーラ。大学病院勤務後に渡米。日本人出産ドゥーラと共にカリフォルニア州ベイエリア在住の日本人女性を対象にしたサロンの開催。帰国後は石巻のNPO法人、地域の助産師と共にサロンを運営。「助産師と近い存在であるドゥーラの認定を取得する過程で多くの刺激を受け、学びを得ることができました。同じ物事も異なる視点からみつめることで新しい発見ができた気がします。」


筆者プロフィール

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福澤(岸) 利江子

筑波大学医学医療系 助教。
助産師、国際ラクテーションコンサルタント。 ドゥーラに興味をもち、2003-2009年にイリノイ大学シカゴ校看護学部博士課程に留学、卒業。 2005年よりチャイルド・リサーチ・ネット「ドゥーラ研究室」運営。


界外亜由美
ライター・コピーライター。広告制作会社で旅行情報誌や人材採用の広告ディレクター・コピーライターとして活動後、フリーランスとなる。また、ドゥーラと妊産婦さんの出会いの場「Doula CAFE」の運営など、ドゥーラを支援する活動も行っている。
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