CHILD RESEARCH NET

HOME

TOP > 研究室 > ドゥーラ研究室 > 【ドゥーラ CASE編】第6回 日本初のドゥーラ団体、「日本ドゥーラ協会」が生まれた背景

このエントリーをはてなブックマークに追加

研究室

Laboratory

【ドゥーラ CASE編】第6回 日本初のドゥーラ団体、「日本ドゥーラ協会」が生まれた背景

はじめに

2008年、まだ日本でドゥーラという言葉が今ほど知られていない頃に、日本の妊産婦さんたちのために活動を志した日本人ドゥーラのグループがありました。「日本ドゥーラ協会」です *1。立ち上げメンバーの6人は、海外でドゥーラの資格を取ったり活動をしていた方たちでした。その組織は表向きには発展したわけではありませんでしたが、そこにはどんな背景があったのか、どんな思いで何を目指したのかを、記録に残したいと思い、そのうちの4人である薬師寺麻利子さん、宇津澤紀子さん、萩野文さん、松野千恵さんにお話をうかがいました。

Q1. 日本ドゥーラ協会を始めたきっかけとその後の経緯について教えてください。

A- 誰かが主になってメンバーを集めたわけではなく、自然につながりました。アメリカなど海外でドゥーラ認定を受けた人たちが、日本にもドゥーラの素晴らしさを伝えたい、日本にもドゥーラの組織が必要だという共通の想いをもち、日本ドゥーラ協会の立ち上げを試みました。それぞれの家庭の事情や出産等が重なり、表立っての活動は勉強会と情報発信にとどまりました。今もお互いにドゥーラとして熱意は持ち続けています。

【薬師寺さん】:みなさんに初めてお会いしたのは、2008年9月6日。ニューメキシコでドゥーラの資格を取られた宇津澤紀子さん、萩野文さん、松野千恵さん、菅原綾子さん、Sandra Ebisawaさん、米国ワシントン州のなでしこクリニック等でドゥーラをしていた私の6人で、日本ドゥーラ協会を始めました。

【宇津澤さん】:日本で助産師として活躍した後、アメリカでドゥーラとして活躍された経験を持つ薬師寺さんのブログを読み、お会いしたいと声をかけたのがきっかけでした。海外でドゥーラと出会い、日本でもドゥーラの素晴らしさを伝えたいという熱い思いにあふれる方たちの集まりでしたね。後から数カ国でドゥーラとして活動した経験をもつ木村章鼓さん(第3回参照)も参加してくれました。

当初は活動の方向性がうまく定まらなかったのですが、メールで連絡を取り合ったり、関東圏のメンバーが月に一度ミーティングを行い、お互いに状況報告をしていました。DONA International創始者のPenny Simkinさんから応援メッセージをいただいたり、ファン助産院や河合蘭さん、飯村ブレットさんなどの関係者にお話を聞かせていただいたこともありました *2。「いいお産の日」 *3で発表したり、学会に参加して助産師さんたちと語ったメンバーもいました。みんな小さな子どもを抱え、家事や仕事をやりくりしながらでしたが、希望いっぱいの楽しい日々でしたね。

当時、日本でも出産立会いのドゥーラとして活動することを望んでいたのですが、交通手段も夫の勤務状況も自由がきかず、自分の子どものお世話等の理由で、実際に活動するのは難しい状況でした。それでも何人かのお産に立ち会わせていただく機会に恵まれたのは、協会の活動の結果というより、ブログや知人への口コミなど、メンバー個人の情報発信によるものが大きかったと思います。

そういった状況から、日本でもまずはドゥーラについて知ってもらおうと考えました。たとえ自分がドゥーラとして活動できなくても、日本で資格が取れるようになれば妊婦さんをサポートできる方が増えると考え、日本ドゥーラ協会のブログを開設したのです。ドゥーラの定義や活動内容、海外の認定団体の紹介、お産に関するお話、参考図書の紹介など、メンバーが交代で綴っていく予定でしたが、残念ながらそれぞれの家庭の事情や出産等で会う機会も減り、協会としての活動ではなく、現在は個々の活動になっています。

今もお互いにドゥーラとして熱意は持ち続けているものの、それは「外へ向かう力」でなく、自分と家族と社会のつながりを安定させるための「内へ向かう力」となって、自分たちを支えてくれるものになっているように思います。ドゥーラとして感じた誕生の感動、妊婦さん家族の信頼感・達成感。そういうものが自分を育てる元となって、子育てという次世代を育てる大仕事に取り組めているのかもしれません。
ドゥーラ協会の仲間たちと培った信頼感は今もかけがえのないものです。一人ではやりきれなかった仕事や、あふれてやり場のなかった思いを共有したことにより、世界が広がりました。

【萩野さん】:誰かが主になってメンバーを集めたわけではなく、自然に少しずつつながりあったという表現が適切な気がします。海外でドゥーラの認定を受けた人たちが、共通の想いを持つ仲間と日本で出会い、想いや経験をシェアする機会に恵まれました。その中で、日本にもドゥーラの組織が必要だという共通認識が生まれてきました。

私は特に、「ドゥーラ」という名前とその自由度を守るために組織を作る必要性があると感じていました。将来、日本でドゥーラが生まれる時が来るとしたら、医療者の方々の理解を求めていく過程の中で、多少の制限を受けながらの活動から始まる可能性があると思っていました。そこで、日本のドゥーラが不完全な形で定着しないためにも「ドゥーラ」という名称を概念のようなものにしておきたかったんですね。「日本ドゥーラ協会」という組織があることで、海外で資格を取った人も、(当時はまだ日本に資格認定団体はなかったけれど)日本で資格を取った人も、どちらも日本でドゥーラと名乗れる環境を理想としていました。本当は協会活動としてお産に付き添うドゥーラの紹介もしたかったのですが、私を含めメンバーには子どもがいたり他の仕事があったりしたため、ドゥーラに興味のある方から連絡をいただいても紹介することができずもどかしい思いをしましたね。表立っての活動は勉強会と情報発信にとどまりましたが、ドゥーラ同士がつながるきっかけになったりもし、小さいながら貴重な場になったと感じています。

【松野さん】:メンバーそれぞれドゥーラになったきっかけは様々です。しかしドゥーラ協会を立ち上げるに至った共通する思いは、多くの妊産婦さんやご家族に安心して幸せなお産をしてほしいということだと考えています。メンバーで勉強し話し合い、日本に出産ドゥーラを広めるため模索してきました。現在のところ課題も多く、またメンバーそれぞれの仕事や家庭の事情もあり思うような成果はあげられていませんが、同じ志を持った仲間に出会い活動できたことは貴重な経験となりました。

lab_03_37_01.jpg
日本の妊産婦さんにドゥーラサポートを届けるために集まった日本ドゥーラ協会

Q2. 日本のドゥーラの発展についてどんなことを感じていますか?日本で出産ドゥーラが広まらない理由はなぜだと思いますか?

A-日本で産後ドゥーラが発展していることは素晴らしいことでとても嬉しいです。一方、産後ドゥーラだけが先行し、家事を手伝う人とドゥーラとの違いが伝わっていないのではないかとも感じています。
日本で出産ドゥーラが広まらない理由については、助産師の役割をはじめとする医療制度の違いが影響していると思います。また、日本では家族の出産立ち会いさえも一般的でないのにまして家族でもないドゥーラの立ち会いには妊産婦さんが抵抗のある方が多いなどの文化的要素もあるかもしれません。

【薬師寺さん】:ドゥーラという言葉が広まるのであれば、たとえ産後ドゥーラに限局されていても率直に嬉しいですね。産後ドゥーラとして活動されている方がイキイキと輝いていらっしゃる姿に感銘を覚えますし、産後ドゥーラに救われたお母さんたちがいると聞き、今後の活躍に期待しています。ただ、私自身はドゥーラにとても興味をもっているのですが、ドゥーラは本来、妊娠中から産後まで共にすごすパートナーであってほしいと思っています。現在は産後ドゥーラだけが先行し、家事を手伝う人とドゥーラとの違いが伝わっていないのではないかと感じています。

日本で出産ドゥーラが広まらないのは、医療制度が大きく影響していると思います。日本の出産も立ち会い分娩が認められていますが、夫や家族に限られていることがほとんどです。また、お産に対して知識を持ち、マッサージなどの行為ができるドゥーラは、医療者にとって何をするのかわからない存在にみえるのではないかと思います。そして、海外と大きく違うのは、助産師の役割だと思います。アメリカの助産師は日本の助産師ようにずっとそばにいてマッサージをするといった細やかな気づかいはなかったように思います。アメリカの助産師はお産のスペシャリストとして、出産の進行状況や胎児の状態、医療介入の必要性などを見極めていました。そして、アメリカの助産師は非医療的な"寄り添い"の重要性を侮っているわけではなく、ドゥーラの必要性を認識し、ドゥーラが入る事を認めているように感じました。日本の助産師は、自分たち自身が寄り添うことの重要性を学び、認識し、実行しようとするのですが、うまくいかない現実に苦しんでいる方も多いように感じます。そういった文化的な違いが、出産ドゥーラが日本で広まらない理由のひとつだと思います。

【宇津澤さん】:現在、日本で産後ケアがあっという間に広まっていて、関係者の努力と熱意にとても感謝しています。妊産婦さんのニーズの多さもさることながら、産後ドゥーラになりたいという希望者がたくさんいることが嬉しいですね。

出産ドゥーラが日本では広まらない理由として、妊婦さんが自分の夫や家族でも立ち会いを希望しない、または希望しても叶わないことがあるという文化的要素があると思います。ましてや医者でもない他人に付き添ってもらう(しかも有料で)、という考えに抵抗のある方は多いのではないでしょうか。

病院では感染症が広がる恐れや、足手まといになることの懸念もあるでしょうし、出産自体がごくごく内輪のイベントであるため、関係者以外の立ち会いをあまり歓迎しない風潮があるように思います。もっと言えば、妊婦さんも医療者側も、「出産は医療者に任せていればよい」という気持ちがあるからこそ、妊婦さん一人でOKということになるのでしょう。

しかし、医師、看護師、または助産師もマルチタスクな業務をこなさなければならないような状況の場合、医療者が一人の妊婦さんに長く付き添う事は難しく思います。そんな時、不安でいっぱいの妊婦さんを落ち着かせてくれる人がいたら、妊婦さんにも医療者にもメリットがあると思います。また、「自分の体で産む」という、出産を自分のものととらえるような妊娠中からの教育ができるのも、ドゥーラならではだと思います。少しずつでも、出産ドゥーラに寄り添ってもらった方が増え、ポシティブな声が広まり、受け入れられるようになることを願っています。

【松野さん】:近くに頼れる人がいなかったり、いても頼めなかったりと様々なご家庭がある中で産後ドゥーラが必要とされ発展しているのはとても素晴らしいことだと考えています。産後の不安定な時期を支えてくれる産後ドゥーラがいることをより多くのご家族が知り、素晴らしい関係が築かれることを願っております。また、一から立ち上げられた方々の熱意には頭が下がる思いです。

日本で出産ドゥーラが広まらない理由ですが、医療制度、保険制度、認知度の低さ、出産ドゥーラの絶対数の少なさ、認定機関の有無、または文化的な背景などいろいろなものが考えられると思います。他国での広がりはどうかと見てみるとアメリカでドゥーラが寄り添うお産は全体の6%ほどで(Declercq et al., 2013)、この数をどう捉えるかは様々なデータや背景を様々な角度から考える必要があるのだろうと思います。日本で諸条件が整ったときどれ位のご家族が出産ドゥーラを望み、広がっていくのかは正直わかりませんが、出産ドゥーラが妊産婦さんやご家族が幸せなお産を考えたときの選択肢の一つとなってほしいと思っています。他方で日本人の日本でのお産に限定しなければ、私がDONAのドゥーラ検索に登録していた間、日本に住む外国人の妊婦さんからよくご連絡をいただいていたことから、外国でのお産に不安を感じている妊婦さんやご家族からは間違いなくニーズがあり、そのコミュニティーにおいては広がっていく可能性があると感じています。

lab_03_37_02.jpg
クライアントさんの生後1か月の赤ちゃんと (宇津澤さん)

考察

日本の社会では産後ドゥーラが先に認知されましたが、海外ではドゥーラといえば分娩期に付き添う出産ドゥーラ(birth doula)が主流です。日本ドゥーラ協会も、妊娠期から産後を通して、特に出産付き添いの部分を重視しており、日本で出産ドゥーラが広まらない理由について、医療者や妊産婦、家族の役割や意識に、文化的な違いがあるのではと洞察していました。妊産婦が求めるものが寄り添いであることは世界共通ですが(第5回参照)、個々の妊産婦をとりまく状況(医療制度を含む)は社会や文化によって差があり、それが日本で出産ドゥーラが広まりにくい理由のひとつなのでしょう。日本と海外の医療制度の違い、助産師の役割の違い、産む女性の認識については次回詳しく扱う予定です。

日本ドゥーラ協会の生まれ方やその後のプロセスは、ドゥーラが女性の仕事であることを示しているようにも見えました。Walker(1999)は女性のリーダーシップについて、一般的に女性はあいまいなことに対し寛容な結果、目に見える成果は少なくなりやすいといいます。日本ドゥーラ協会は直感的でクリエイティブなアイディアによって、自然発生的にメンバーが集まりました。さらに、各自が役割を持ちつつも特定の代表者を決めていなかったことも、女性の集団として特徴的でした (Walker, 1999)。

日本ドゥーラ協会が表立った発展に結びつかなかった理由として、ドゥーラ自身が出産や子育てをするライフサイクルにあったこと、女性が仕事を続けるうえで家庭と仕事の両立が課題になったことも大きかったようでした。24時間オンコールで働く出産ドゥーラが家庭と仕事を両立するには、本人の熱意や努力だけでは克服できない壁があることは想像に難くありません。女性が社会で活躍するというこの大きな課題はドゥーラだけでなく多くの女性が直面している共通の問題といえます。この問題に社会全体で取り組む必要性はあるでしょう。

現在、表向きには組織が消えたかのように見えますが、この団体の存在には、日本のドゥーラ黎明期に、海外でのドゥーラ経験をもつドゥーラたちが、今後日本でドゥーラが今後必要になる可能性を見出し、実践者の言葉で日本の人々にその概念を伝えようとしたという、かけがえのない意義があったと思います。各メンバーにとっても、日本ドゥーラ協会の存在は大切なつながりの証として現在も大きな支えになり、それぞれが次のステージに移っていくステップであったように見えました。妊娠・出産・育児や配偶者の転勤など女性のライフサイクルと折り合いながら、ドゥーラという概念を社会と自身に根付かせていく姿。出会う妊産婦に最善の支援を考え続けて、今も多くの女性たちのため、社会のために、個人で現実的な活動を続けている姿。今後も彼女たちのビジョンと行動力に基づいた活動に感謝と応援を送り続けたいと思います。そして、目に見える形であってもなくても、彼女たちと似た志をもって社会を支えている人々がさらにつながり合い活躍しやすい社会になることを願っています。

(執筆協力:界外亜由美)



参考文献

  • Declercq, E.R., Sakala, C., Corry, M.P., Applebaum, S., & Herrlich, A. (2013). Listening to Mothers-III: Pregnancy and birth. Report of the Third National U.S. Survey of Women's Childbearing Experiences. NY: Childbirth Connection.
  • Walker, R. (1999). Women and leadership in health care: the journey to authenticity and power. San Francisco: Jossy-Bass publishers.

  • *1:2012年に設立し東京を中心に、産褥期間にある女性とその家族をサポートする「産後ドゥーラ」の養成事業をおこなっている「一般社団法人ドゥーラ協会」と、今回取り上げる「日本ドゥーラ協会とは、別の団体です。
  • *2:
    • Penny Simkinさん(https://www.pennysimkin.com):米国ワシントン州在住。理学療法士。ドゥーラ、チャイルドバースエデュケーター、バースカウンセラー。1968年以来、13000名以上の出産準備教育、何百例もの出産ドゥーラ経験をもつ。国際ドゥーラ協会の共同創始者でもある。著書多数。
    • ファン助産院(http://www.fun-birth.com):東京都杉並区にある助産院。昨年(平成26年)、設立30周年を迎えた日本を代表する助産院の一つ。
    • 河合蘭さん(http://www.kawairan.com):出産ジャーナリスト。妊娠・出産・育児情報「REBORN(http://www.web-reborn.com)」代表。著書「卵子老化の真実(文春新書)」「出生前診断ー出産ジャーナリストが見つめた現状と未来(朝日新書)」など多数。
    • 飯村ブレットさん(http://www.birthinjapan.com):チャイルドバースエデュケーター。チャイルドバース・エデュケーション・センター代表。日本で20年間住み、東京を中心に外国人のカップル1600組以上(出身国70か国以上)に出産準備教育を行う。現在はマサチューセッツ州在住。
  • *3:「いいお産の日」は毎年11月3日(いいお産(1103)の語呂合わせ)。1994年に、『REBORN(上記)』の一周年記念イベントとして始まった。現在はいいお産の日実行委員会が事業を主催。参考:ウィキペディアのリンク(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%84%E3%81%8A%E7%94%A3%E3%81%AE%E6%97%A5
lab_03_37_03.jpg  宇津澤紀子
  米国マッサージセラピスト、ドゥーラ。2007年より米国にて出産・産後ドゥーラのワークショップに参加、活動を始める。ニューメキシコ州、マサチューセッツ州、テキサス州にてマッサージやドゥーラを通じて妊婦さんや産後のご家族と関わる。3人男児の母。「自分から発信することは苦手ですが、出産や子育てに関することをお探しの方と一緒に考えたりするのは大好きです。」

lab_03_37_04.jpg  萩野文
  バースドゥーラ・産後ドゥーラ。米国での自身の出産でドゥーラのいるお産を体験し、ドゥーラを志す。2008年より茨城でバースドゥーラとして活動。現在はお産の付き添いは休止中だが、妊娠中の女性や夫婦を対象にプライベートのお産講座を随時開催している。「一つ一つのお産のドラマは、私にとってすべてが特別です。」
http://mamasmamadoula.wordpress.com/

lab_03_37_05.jpg  松野千恵
 シアトルで長男を出産したのを機にDONAの出産ドゥーラに。帰国後はファン助産院で長女、次男を出産。現在は日本語教師をするかたわら、ドゥーラとしてのアンテナを張りお産の情報を集める毎日。「お産はとてもエネルギッシュで素晴らしいもの。たくさんの人が幸せな経験をされるといいなぁ。」

lab_03_38_01.jpg  薬師寺麻利子
 日本の大学病院と助産院に勤めた後、夫の仕事の関係でアメリカ、シアトルへ。友人の出産をきっかけにDONAでドゥーラの勉強をし、2004年から2007年まで活動。シアトルでは、なでしこクリニックに勤めながら病院、バースセンターなどでお産に立ち会う。「現在はドゥーラ活動をしていませんが、日本にドゥーラが広まればいいなと思っています。」

筆者プロフィール

kishi_prof.jpg

福澤(岸) 利江子

筑波大学医学医療系 助教。
助産師、国際ラクテーションコンサルタント。 ドゥーラに興味をもち、2003-2009年にイリノイ大学シカゴ校看護学部博士課程に留学、卒業。 2005年よりチャイルド・リサーチ・ネット「ドゥーラ研究室」運営。


界外亜由美
ライター・コピーライター。広告制作会社で旅行情報誌や人材採用の広告ディレクター・コピーライターとして活動後、フリーランスとなる。また、ドゥーラと妊産婦さんの出会いの場「Doula CAFE」の運営など、ドゥーラを支援する活動も行っている。
このエントリーをはてなブックマークに追加

TwitterFacebook

インクルーシブ教育

社会情動的スキル

遊び

メディア

発達障害とは?

研究室カテゴリ

アジアこども学

研究活動

所長ブログ

Dr.榊原洋一の部屋

小林登文庫

PAGE TOP