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第3回 城跡で広げた想像の翼new

内田伸子(十文字学園女子大学 特任教授)


私はこれまで「創造的想像のメカニズム」について探究してきた。博士論文は 表象と談話(物語・説明や説得・作文・科学論文)産出の関係を想像力の発達の観点から解明したものである。想像力に関する一連の研究は、学会誌原著論文18本、啓蒙雑誌への依頼論文47本などの他、『ごっこからファンタジーへ―子どもの想像世界』(新曜社,1985年)、『子どもの文章―書くこと・考えること』(東京大学出版会,1990年)、『想像力の発達―創造的想像のメカニズム』(サイエンス社,1990年)、『想像力―創造の泉を探る』(講談社,1994年)などの啓蒙書や『子どものディスコースの発達―物語産出の基礎過程―』(風間書房,1996年)、『発達心理学―ことばの獲得と教育―』(岩波書店,1999年)、『幼児心理学への招待―子どもの世界づくり―』(サイエンス社,2008年)などの専門書の中核の1章として構成し、公刊してきた。

「想像力」は日常よく耳にすることばだ。では、学術研究に登場するかというと、私が研究を始めた1970年代では、心理学分野では想像力などの用語を用いた学術論文は皆無であった。心理学の本家筋にあたる哲学界ではサルトルの名著『存在と無』、心理学の兄弟筋にあたる社会学界ではニスベットが『想像力の復権』など、想像力をとりあげた著作が少なくない。これらの分野では日常認識に偏在する想像力は論考の対象として十分な地位を与えられていたのである。

しかし、私が研究を始めた頃には心理学分野で想像力を正面からテーマにした研究はなかった。心理学界では知能研究の一環として「創造力」は取り上げても、「想像力」は得体の知れないもので学術研究の対象になりえないと思われていたため、想像力に注目する研究者はいなかったのである。しかし、70年代後半から認知科学が興り、心理学は人工知能や人間工学などに背中を押され、ようやく人間の知の特質を探る研究へと踏み出した。

もともと言語と認識の諸問題に興味があった私には認知科学の隆盛は居心地よい学術空間をもたらすことになった。研究に着手したときには、3人の「巨匠」の著作に影響を受けた。一人目は、フロイトやアドラーと袂を分かち、人間特有の自由意思=想像力に焦点化して「実存分析」を創始したユダヤ人医師のフランクル、二人目は、言語行為と思考活動の関係についての天才的な業績を残した旧ソビエトの心理学者ヴィゴツキー、そして三人目は、文化の伝承過程を実験研究の方法論で探ってみせた英国の社会心理学者のバートレットの3人である。これらの巨人の著作から強い影響を受けていた私が想像力の研究に着手するのは自然であった。

そもそもなぜ私が想像力に興味をもったのか。その根っこは私の子ども時代に遡ることができる。私は18歳、高校を卒業するまで群馬県沼田市で子ども時代を送った。

♪♪♪ 紫にほう赤城山、流れさやなる利根の水 ♪♪♪

このメロディーとともに、赤城、子持ち、三峰の山々が色鮮やかに浮かんでくる私の少女時代。カバンを置くのももどかしく、小学校の校庭に級友たちと再集合。広い庭で缶けり、鬼ごっこや"三十八度線"(南北朝鮮問題が背景にあるいささか物騒な「陣盗り」ゲーム)などをするためだ。校庭でひとしきり遊んだあとは皆で沼田公園に繰り出した。沼田城の天守閣のあった高台には「御殿桜」がある。御殿桜は毎年4月初旬に満開になり、人々に春の歓びと華やぎをもたらしてくれる。この高台は城の名残の石垣で取り囲まれ、石垣の端には、地下室への抜け道が残っている。この抜け道を通り抜ければ、大人から隔絶された子どもたちのかっこうの探検の場が待っている。丈夫そうな木の枝を見つけると、途中で拾ってきた荒縄を結わえつけ、それに掴まりながら、赤土の壁を、そろそろとカニ歩きで降りる。縄がなくなると、木の枝や雑草をたよりに足場を探しながら横穴がぽっかり口を開けた地下道の入り口まで伝わっていく。最後の一人がたどりつくまで、空気はピーンと張りつめている。

石板が敷き詰められた穴の中は薄暗い。穴の入り口から差し込む外界の明るさだけが唯一の頼りである。それぞれお決まりの場所があって、その定位置に陣取ると、大人の世界と隔絶された想像の異空間が拓かれる。代わりばんこに、怖い話や悲しい話をする。祖母から聞いた昔話、本で読んだ話、その場で考えた創作話などを語る時間が幕を開ける。薄暗い中だからこそ、お化けの話は効果百倍。外界から隔てられた静寂の中、聴き手たちのナィーブな反応は、「物語りの舞台」の雰囲気をいやがうえにも盛り上げ、恐怖心を駆り立てる。ときには昔話のあたたかい雰囲気が子どもたちの心にじんわりと染み込みあたたかな光で包まれる。友の語りを聴きながら、みな想像の翼を広げ、想像世界を自由に飛翔した。

「さいごは、のんちゃんの番」と誰かの声を合図に、とりを務めるのは私であった。私は当時、吉屋信子の「母もの」シリーズや村岡花子訳のストー夫人の『アンクルトムの小屋』、モンゴメリーの『赤毛のアン』、バーネットの『小公女』や『小公子』などを愛読していたので、読んだ本を思い出しながら、みなに語り聞かせた。38度線などの活動的な遊びではわき役の私も、穴の中では主役になれた。

子どもにとっての「遊び」とは仕事に対立する概念ではなく、怠けることを意味するものでもない。遊びとは、自発的な活動を指していて、頭がよく働いている状態のこと、名探偵ポワロならば、いわく「灰色の脳細胞が活性化される」状態で、自由と創造的想像が展開する活動のことである。

 語り手も聴き手もひとしきり想像世界を楽しんだ後、想像空間の穴を抜け出て、こんどは「御殿桜」の小高い丘を取り囲むように張り付いた子ども一人がやっと通れる足場を伝い歩き下公園に出る。視界はパッと開け、真向いに三峰山の神社の赤屋根、眼下には実った稲穂の黄とその間を蛇行する薄根川......眼前には一幅の名画が広がる。

しかし、この「名画」は客体として佇んでいるだけではない。私たちは赤い屋根の三峰神社に遠足にいき、頂上近くの沼で腹の赤いイモリをつかまえたことがある。三峰山が銀色に輝くのは、2月中旬のある朝5時半ごろのほんの一瞬。春の訪れを告げる芽吹きが一斉に始まったのだ。山が銀色に輝くのを見たくて、2月中旬になると、私は早起きして下公園に何度も足を運んだ。「三峰が今朝、銀色になったよ!」と級友たちに告げる。それを合図に、春の訪れを予感してみなで歓びあう。ぬかるんでいた道がしっかり固まり、運動靴が汚れるのを気にせずに駆け回ることができる春がもうすぐやってくる!夏には薄根川で泳ぎ、秋には稲田でイナゴをとった。一幅の名画はたちまち私たちの五感を蘇らせ絵の登場人物として動き出す。私たちは、しばし言葉をのんで、暮れゆく茜色の空を眺めている。

「さあ今日は"さよなら"しよう。」誰ともなしにかけたことばを合図に、みな満足感と名残惜しさが入り混じった心持ちで家路に向かう。日が落ち、薄暗くなった街路地を、夕餉のにおいに鼻をヒクつかせながら、私たちはおのおのの家路へと急いだものだ。家につくと母か祖母が玄関先で待っていてくれた。私の子ども時代を優しく包んでくれた懐かしい故郷に、私は、もう長い間帰っていない。


uchida_2.jpg内田伸子(うちだ・のぶこ)
十文字学園理事・十文字学園女子大学特任教授、筑波大学客員教授、お茶の水女子大学名誉教授。日本子ども学会理事。国立教育政策研究所「幼児の論理的思考の発達調査プロジェクト会議」主査。お茶の水女子大学文教育学部卒業、大学院修了、学術博士。専門は発達心理学、認知心理学、保育学。NHKのおかあさんといっしょの番組開発やコメンテーター、ベネッセの子どもチャレンジの監修、しまじろうパペットの開発などにも関わってきた。主な著書に『子どもの文章:書くこと考えること』(東京大学出版会,1990)、『まごころの保育―堀合文子のことばと実践に学ぶ―』(小学館)、『発達心理学―ことばの獲得と教育』(岩波書店,1999)、『異文化に暮らす子どもたち』(金子書房,2004)、『世界の子育て―貧困は超えられるか』(金子書房,2012)『子育てに「もう遅い」はありません』(冨山房インターナショナル,2014)など。

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