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S君が教えてくれたこと

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私の小児科医としての約40年の臨床経験の中で出会った多数の子どもたちの中に、どうしても忘れ難い子どもが何人かいます。その中でもS君のことは、ほんとうに鮮烈な印象として残っています。

中学生だったS君の病気は、神経芽細胞腫という悪性のがんでした。長期入院で強い抗がん剤による治療を続けていましたが、全身に転移を起こしていました。

病棟医長だった私は、院内学級の開校にこぎ着けることができ、しばしば病院内の教室での授業の様子を見に行ったり、教師の方々と院内学級の運営について相談したりしていました。S君も院内学級を楽しみにして熱心に通っている生徒の一人でした。S君は他の子どもに親切で人気者でしたが、彼の人気度をいやが上にも高めていたのが、音楽の授業で合唱をするときの彼の存在でした。斉唱ならいいのですが、S君以外は主旋律しか歌えなかったので、S君がいないと二重唱ができなかったのです。

最初のうちは歩いて院内学級まで通っていたS君ですが、病状が悪化し、ベッドに寝たままでしか授業に参加できなくなってきました。S君のがんの転移は、頭蓋骨への転移で、本人を含めてだれにも彼の頭に複数のこぶができているのを認めることができました。S君自身もそのことに気づいていたはずです。

亡くなる数ヶ月前に、私はS君の担任の教師から相談を受けました。相談の内容は、S君の余命はあとどの位かということと、彼に英語の宿題を出すべきか、という相談でした。前者の相談の意味はよくわかりますが、後者の相談の意図が分からず怪訝な顔をしている私に教師は相談の意図を次のように説明しました。「S君は本当に体がつらいのに、一生懸命英語の宿題をやってきます。でも、S君の余命を考えると、学んだ英語を実際に使う機会はないでしょう。使う機会のない英語の宿題を彼にやらせることがいいのでしょうか?宿題を出さずに、好きなことをさせてあげたい。」

一瞬、熱心に宿題をやっているS君の姿を思い浮かべ、胸がつまる思いをしながら、次のように答えたことを覚えています。「S君にとっては、当たり前の中学生がやっている生活をすることが一番やりたいことなのではないでしょうか」。

痛みのために常時鎮痛剤が必要になった最期の日々も、S君は音楽の授業だけは、ベッド上で点滴をしながら出席を続けました。なぜなら彼なしでは二重唱ができないからでした。

彼はその後しばらくして亡くなりましたが、S君が音楽の授業に出続けた理由が分かるような気がします。それは、そこで彼が「必要とされている」ことを知っていたからではないでしょうか。人から必要とされている、という気持ちがS君を最期まで支えていたのだと思います。

S君の生き方は、その後読んだ「人間の土地」(サンテグジュペリ)の中で私が感銘をうけた、一人の 園丁 えんてい の死の記述と重なります。死の床でこの園丁は言います。「私は、土を掘って掘って掘抜きたいほどです。土を掘るってことが、いい気持ちなんです。もし私が土を掘らなかったら、誰が私の樹木の手入れをしてくれましょう」

テグジュペリは、「彼は自分がそれをしなかったら、一枚の畑が 荒蕪地 こうぶち (荒れ野)になるように思えるのだ。彼は自分が耕さなかったら、地球全体が荒蕪地になるように思えるのだ。(中略)彼こそは仁者であり知者であり王者であったのだ」と書いています。

S君は中学生ながら私たちに生きてゆくことの意味を教えてくれたと思っています。

筆者プロフィール
sakakihara_2013.jpg榊原 洋一 (さかきはら・よういち)

医学博士。CRN所長。お茶の水女子大学名誉教授。ベネッセ教育総合研究所常任顧問。日本子ども学会理事長。専門は小児神経学、発達神経学特に注意欠陥多動性障害、アスペルガー症候群などの発達障害の臨床と脳科学。趣味は登山、音楽鑑賞、二男一女の父。

主な著書:「オムツをしたサル」(講談社)、「集中できない子どもたち」(小学館)、「多動性障害児」(講談社+α新書)、「アスペルガー症候群と学習障害」(講談社+α新書)、「ADHDの医学」(学研)、「はじめて出会う 育児の百科」(小学館)、「Dr.サカキハラのADHDの医学」(学研)、「子どもの脳の発達 臨界期・敏感期」(講談社+α新書)など。
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