TOP > 所長ブログ > フンザの泥おむつ

このエントリーをはてなブックマークに追加

所長ブログ

フンザの泥おむつ

榊原 洋一(CRN所長、お茶の水女子大学名誉教授、
ベネッセ教育総合研究所常任顧問)

2017年6月 9日掲載
中文 English
おむつ(使用)とトイレトレーニングは、人間の歴史や文化と、子どもの発達が密接に結びついた営為であり、子育てや子どもの発達とは切り離して考えることのできない事柄です。

おむつとトイレトレーニングに関する大きな課題にはこれまでに以下のようなものがありました。

「布おむつか紙おむつか?」
「おむつ外しか、おむつ外れか?」
「トイレトレーニングの最適な開始時期は?」

最初の「布おむつか、紙おむつか?」は今ではあまり顧みられないテーマですが、私がまだ駆け出しの小児科医のころは、マスコミを巻き込んだ大きな問題でした。子育ての専門家が、布おむつ派と紙おむつ派に分かれて大議論を展開していました。布おむつ派曰く、紙おむつではおむつ外れの時期が遅くなる、資源の無駄遣いや環境汚染につながる、母親が子どもの便の様子を観察しなくなるなど、侃々諤々の議論がありました。最も強い反対意見は、肌触りがさらさらの紙おむつでは、濡れても不快感がなく、おむつ外れが遅くなるというものでした。その後、実際に調査が行われ、紙おむつがおむつ外れの遅れにはつながらないことが明らかになりましたが、当時は大きな課題でした。

二つ目の「おむつ外れか、おむつ外しか?」は、初めて聞かれた方もおられると思います。おむつ外しは、その主語が母親であるのに対し、おむつ外れは、主語がおむつであるという違いがあります。これはある著名な小児科医が、おむつ外しというと、子育てのストレスを感じている母親が「いつ(自分が)外さなくてはならないのか」とさらにストレスを感じてしまうので、おむつはとれる時に(自然に)とれるようになるのですよ、という母親を気遣った言葉使いとして推奨してから広まったものです。私は、そうは言っても、そもそもおむつをさせるのは親であり、子どもが自分からおむつを外すことはないので、事実と反するし、正しい情報ではなくリップサービスなのではないかと反論した覚えがあります。いまはどちらの言葉使いが主流になっているのでしょうか。試しに、グーグルで検索したところ、「おむつ外れ」は59万件、「おむつ外し」は49万件と、両者伯仲しているようで、私のむなしい反論はあまり効果がなかったようです。

おむつ外し(外れ)の最適な時期と方法については、たくさんの科学的な検証研究があります。ここでは詳細に触れることはできませんが、世界中で次第にトイレトレーニング開始時期が遅くなってきていること、トイレトレーニングの開始時期が早ければ、おむつ外し(外れ)の時期は少し早くなるが、トイレトレーニングの期間が長くなること、などが明らかになっています。アメリカ小児科学会がまとめた研究では、トイレトレーニングの最適な開始時期は、何歳何カ月という子どもの年齢で決めるのではなく、子どもの発達段階を目安に決める方が合理的である、という結果もでています。

さて、このようにおむつやトイレトレーニングは、子育てにとって重要な事柄であり、また発達に関連した科学的な行為に思えますが、タイトルの「フンザの泥おむつ」はそうした常識を覆すような経験でした。

前回ブログで書きましたように、私の青春時代は山とともにありました。その集大成が、臨床研修を終わってすぐの26歳の時に、カラコルムのバツーラという山(標高7800メートル)へ登った東京都庁の登山隊に、随行医師として参加した経験です。

パキスタン北部のカラコルムには、世界第二の高峰であるK2などがあり、また高峰に囲まれた谷間のフンザ地方には、昔ながらの風習が色濃く残った伝統的な人々の生活があります。

私の仕事は登山メンバーの健康管理と通訳でしたが、パキスタン政府から国境近い地域の山への入山許可の条件として、地元の村民から医療の要請があった場合は、できる範囲で対応することが求められました。

空港のあるラワルピンジーから、飛行機でゆける最奥の町であるギルギットまで小型機で行き、そこから足のすくむような断崖絶壁の上の道を一日かけてジープで行った小さな山村が登山のスタート地点でした。そこから、谷に沿って5日かけてベースキャンプまで行きましたが、毎朝、登山隊(荷物を運ぶポーターをいれると100人以上の大部隊)のキャンプ地の周りには「本物」の医者に見てもらおうと100人位の村民が集まってきていました。とても私1人では100人診察できませんので、数の多い目の疾患(ほとんどが結膜炎)は、登山隊員の中に「目医者」を指定し目薬をさしてもらい、同様に多い切り傷、擦り傷は、「外科医」を指名し、消毒と抗生物質軟膏の塗布をしてもらいました。

私はそれ以外の訴えの村民を、通訳を通して診察しました。「本物」の医者に見てもらいたいだけの人もおり、受診理由を聞くと「その胸にかけている器具(聴診器)を自分の胸にあてて欲しい」とか、「足が悪くて歩けない」という訴えなのに、山向こうから峠を越えてやってきた人がいたりなど、日本では絶対にない貴重な経験をしました。

下痢をしている乳児も何人も診ましたが、そこで今回の主題である「泥おむつ」に出会ったのです。

下痢の診察は、便を見ることが必須です。下痢の乳児をつれてきた父親(母親は異教徒の前には姿を見せません)が、ヤギの皮やぼろ布でできているおむつカバーを外した時に、今でも私の目に焼き付いている光景が飛び込んできました。乳児の腰のあたりが、真っ黒な泥にくるまれているのです。「え、これが全部便!?」とびっくりしてよく見ると、それは尿や便を吸い込んで真っ黒になった泥だったのです。フンザ地方は乾燥地帯で、地面の土はフカフカに乾燥しています。尿や便でしめった泥を取り除き、代わりにさらさらの土を入れたおむつだったのです。見かけは汚いのですが、不潔というわけではなく、さらさらの土のおかげで、乳児のお尻は乾燥した状態に保たれ、おむつかぶれを防ぐ、経済的なおむつだったのです。

布おむつか紙おむつという二者択一しか頭になかった私にとって、大きなカルチャーショックであるとともに、日本で常識と思われていることが、かならずしも世界では通用しないことを知った貴重な経験でした。

chief2_31_01.jpg
パキスタン・カラコルムにて

筆者プロフィール

report_sakakihara_youichi.jpg榊原 洋一 (さかきはら・よういち)

医学博士。CRN所長。お茶の水女子大学名誉教授。ベネッセ教育総合研究所常任顧問。日本子ども学会理事長。専門は小児神経学、発達神経学特に注意欠陥多動性障害、アスペルガー症候群などの発達障害の臨床と脳科学。趣味は登山、音楽鑑賞、二男一女の父。

主な著書:「オムツをしたサル」(講談社)、「集中できない子どもたち」(小学館)、「多動性障害児」(講談社+α新書)、「アスペルガー症候群と学習障害」(講談社+α新書)、「ADHDの医学」(学研)、「はじめての育児百科」(小学館)、「Dr.サカキハラのADHDの医学」(学研)、「子どもの脳の発達 臨界期・敏感期」(講談社+α新書)など。
このエントリーをはてなブックマークに追加
サイトマップはこちら
サイトの全体像が分かります。

Twitter  Facebook

CRNアジア子ども学交流プログラム

名誉所長ブログ

イベント

ご意見・ご質問

メルマガ登録

世界の幼児教育レポート

CRN刊行物